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佐野貴治さん(酪農経営)は、平成18年10月7〜9日にかけての低気圧の影響に伴う記録的な豪雨による河川の増水により、施設と農地が冠水した。また、停電や断水、このほか道路被災による交通の遮断等、営農や生活への影響も大きかったが、被害を少しでも和らげるため臨機応変に対処し、近隣農家や地域の支援もあり速やかな復........
黒河富茂さん(酪農経営)は平成18年11月7日に発生した竜巻により被災。停電、農地にガレキが散乱する等、営農や生活への影響も大きかったが、臨機応変に対処し、近隣農家や地域の支援により、速やかな復旧を果たすことができた。竜巻発生時には、農地で乗っていたトラクターの後部に竜巻に運ばれて飛んできた........
平成15年8月に北海道日高地方を襲った台風10号により、佐々木茂さん(酪農経営)の農場前の川が氾濫し、牛舎等の施設に濁水が流入。農場に続く道路の決壊、停電、断水もあったが、近隣農家や地域の支援により速やかな復旧を果たした。牛舎に約50cm堆積した土砂は、支援者約20人が毎日、除去作業を行い、発生から5日目........
平成15年8月に北海道日高地方を襲った台風10号による集中豪雨は山津波を引き起こし、青木良市さん(肉用牛経営:繁殖牛65頭・乳用種肥育牛770頭)の畜舎や農地、家畜に甚大な被害を及ぼした。直接的被害以外にも、停電や断水、道路被災による交通の遮断等、営農や生活への影響も大きかった。施設用地・畜舎に流........
高橋哲也さん(酪農経営)は平成15年8月に北海道日高地方を襲った台風10号による集中豪雨に起因する河川氾濫により、停電や断水、道路被災による交通の遮断等により営農や生活への影響を大きく受けた。農場・住宅の洪水被害はなかったが道路の寸断により外部との行き来ができなくなった。このため集乳車が来られず、........
杉山憲由さん(肉用牛経営:繁殖牛30頭、F1素牛150頭)は平成15年8月に北海道日高地方を襲った台風10号による集中豪雨により、哺育牛舎に土砂が流れ込む、土砂崩れで道路が塞がるなどの被害があった。一番大きな被害は断水である。当農場は高台にあるため、農場まで水が上がらないため、農場の下の方にタンク........
東日本大震災による津波被害で農場が全壊し、豚も溺死等で多くがへい死。残っていた200頭も飼料や水が確保できず、譲渡や早期出荷で全頭を失った。このため経営主は一度は廃業を考えたが、被災直後から地域の人々による献身的な支援があり、後継者の将来を見据えた十分な協議、話し合いにより、経営を再建することを決心........
震災前に福島県浪江町で酪農を営んでいた三瓶さんは85頭(うち経産牛57頭)、妻の弟である今野さんは55頭(同38頭)を飼養していたが、国から計画的避難区域に指定され、おおむね1ヵ月以内に全町民が町外へ避難しなければならなくなった。飼養している家畜についても、避難区域以外へ移動させるか、と畜販売する........
㈲大野農場は、独自ブランド「小江戸黒豚」の生産、加工、販売の3部門からなる。生産部門は当初、仲間とともに肥育用素豚を主に生産していたが、昭和60年に一貫生産に切り替える。現在は黒豚雌豚100頭規模。年間約1,200頭の小江戸黒豚を出荷している。地元特産のさつまいも、食品工場からの余剰パン、牛乳などを........
関口さんの酪農経営は、地域の人々に酪農について知ってもらいたいという思いから、ふれあい体験を考え、牧場スタンプラリー、地域交流牧場全国会議、酪農教育ファーム認証を受けるなどをしてきた。ふれあい体験を続けていくうちに消費者からアイスクリーム販売の要望があがり、新鮮な牛乳を使ったアイスクリーム販売を開始........
経営者は新潟県の山間地にある旧山古志村(現長岡市山古志)で平成15年に肉用牛一貫経営の後継者として就農したが、翌平成16年に発生した新潟県中越地震で被災。牛舎が倒壊し、その下敷きとなって飼養牛73頭中30頭が死亡。水田、採草地、自宅も崩壊し、肉用牛生産基盤と生活基盤を同時に失った。残った牛を1ヵ月........
東日本大震災で地域の畜産経営(酪農1戸、肉用牛3戸、養豚1戸)が被災した。経営主のKさん(肉用牛肥育経営・236頭飼養)は畜舎の被害はあったものの、畜舎へのライフラインは震災発生から1日で復旧し、家畜の被害は免れた。しかしながら、集落全体では電気、水道が使えなくなったところが多く、経営者自らが積極........
T牧場は福島県伊達郡川俣町にて養豚繁殖経営(母豚180頭)を行なっていたが、平成23年3月11日に起きた東日本大震災により、震度6弱の激震が襲い、豚舎1棟が被害を被った。また、4月には福島第一原子力発電所の事故に伴い、原子力災害対策特別措置法に基づき、農場2ヵ所が計画的避難区域に指定された。通........
臼井さんは、河川敷草地を利用し牧草生産を行ってきたが、水田地帯の立地条件から地域営農集団と連携して稲WCSや飼料用米の生産や利用を拡大し、高品質な地域産飼料の安定的確保を図っている。さらに和牛ETや飼料用米などの収益性を見越した新技術を導入するとともに資金の内部留保に努め、無借金の安定した優良な経........
大井さんは、平成元年にUターンして酪農経営の後継者となり、経営内で技術的に遅れているところを改善しながら規模拡大を行い、現在は経産牛64頭を飼養する。河川敷草地を積極的に利用し、平成18年には市が占用許可を受けた14haを自力で開墾、草地造成を行った。また近隣酪農家と平成20年には羽島市稲ワラ生産........
㈱南勢養鶏は、三重県南部の過疎地域で成鶏約20万羽を飼育する大規模採卵経営である。従来から地域住民を優先雇用するなど地域社会に貢献し、地域行政とも良好な関係を築いてきた。鳥インフルエンザが発生したが、作成していた対応マニュアルの内容が衛生意識の高い従業員に周知され、模擬訓練も実施されていたこと、異........
㈱西垣養鶏場は、平成16年10月に上陸した台風23号により、鶏舎等が浸水するなど被災した。周辺地域は河川の増水による幹線道路の一部崩壊や家屋の浸水などが広範囲に及び、復興は長期にわたった。同社の農産物直売所「百笑館」は、消費者や被災した地域の農業者から営業再開を求められ、被災3日後には営業を再開。遠........
サラリーマン家庭で育った飼原氏は、農業大学校の卒業と同時に、土地なし、畜舎なし、資金なしであったが、熊野牛ブランド化推進協議会の会長に出会い、肉用牛繁殖経営に新規参入し経営基盤を築くに至った。現在は繁殖雌牛10頭を飼養し、和歌山県の肉用牛農家の一員となっている。........
高病原性鳥インフルエンザが発生したが、①発生農場が死亡鶏が少数の段階で通報したこと、②地元町内会が処分鶏の埋却等の同意にいち早く応じるとともに、原因究明と再発生防止対策の強化を求める署名を市内全域から集め、国、県等へ提出するなど終始農家を応援したこと、③家畜保........
和牛のルーツといわれる「千屋牛」は新見市内で一貫生産または県内で生産された子牛を18ヵ月以上肥育することが条件である。㈲哲多和牛牧場は平成13年9月に設立。現在、成雌牛約280頭の和牛一貫経営であるとともに、地域の繁殖農家から子牛を導入し、地域内一貫生産を支える牧場として機能している。新見市で........
岡山県津山市宮部上地区は、貴重な環境を残す一方、耕作放棄地・限界集落(県では、小規模高齢化集落)といった言葉が背中合わせに存在する。多くの中山間地域が、高齢化や農家の担い手不足などにより同様な問題を抱えている。そんな中、地域外で農業以外の分野で活躍していた夫婦が、県が実施している肉用牛入門講座........
非農家出身の福元さんは大学在学中に畜産に興味を持つ。卒業後、広島県の牧場に就職し飼養管理技術と経営感覚を習得した後、福島県いわき市でジャージー牛の牧場を開く。夢であったジャージーの放牧酪農によるナチュラルチーズの生産に取り組み、ようやく販売を始めて半年経った平成23........
久井高原牧場の新舎氏は、廃業寸前の経産牛60頭規模の酪農経営を第三者継承した。経営を移譲する者と譲り受ける者のマッチングや継承する資産の特定など、関係者による支援を受け課題をクリアーし、合同会社を短期間で設立し継承した。経営譲渡にあたり、市や県、畜産協会に対して支援を........
全国的に畜産の担い手不足が懸念される現状において、本経営は酪農の自営を目指す非農家出身者を従業員として積極的に雇用し、技術、経営感覚を習得させ、人材育成を行い、本人の夢の実現に向けて支援を行っている。過去において従業員2名が実際に新規就農。就農した2名のうち1名は福島県で経営を開始したが、東日本大........
大﨑貞伸さんは平成19年1月、結婚を契機に宮崎県西都市に帰郷し、肉用牛肥育経営の後継者として就農した。平成20年に経営主となり、翌年には牛舎を増築し規模拡大を図っていた。就農当時から地域の先輩生産者に牛飼いの技術を学び、日ごろから「自分は大﨑牧場の後継者ではなく、地域の後継者である」という気持ちを抱........
浜中町の酪農家戸数は、平成20年時点で196戸に減少し、25年は185戸にまで減少すると予測される。新規参入等による経営継承を行い担い手への農地集積が進まないと余剰牧草が発生するなど、管内の酪農基盤の維持ができない事態に至っていた。乳牛の基盤も平成5年の2万3,000頭をピークに、20年は2万1,600........
全道でも有数の黒毛和種の素牛生産地の白老町で地域の繁殖雌牛の“飼い直し(再肥育)”を行って牛肉としての価値を向上させる実験に取り組んでいるのが阿部牛肉加工㈱である。直営牧場で北海道大学との共同研究により牛肉の成分分析を行いながら、経産牛の飼い直しの飼養管理技術を確立するとともに、これを地域の繁殖経........
㈲レークヒル牧場は、昭和44年に現経営者の義父(3代目)が札幌市近郊現在の洞爺湖町に移転した。昭和51年に法人化し、平成11年からは放牧の取り組みを開始。自給粗飼料および放牧草の高品質生産とともに、放牧適性のある牛群の造成により、これまでの放牧酪農ではみられない高泌乳を達成しつつ(経産牛1頭当たり年間........
当該経営(母豚150頭の一貫経営)は、東日本大震災の震源地に近い地域にある。直接的被害は肥育舎の鉄柵の溶接が全て破断、離乳舎のふん尿タンクにも受けた。ファーム内にはバイオガスプラント(中温メタン発酵)が設置されているが、配管が破損していたため緊急停止した。震災以降、まる2日間は電気が使えなかっ........
㈲降矢農園は「耕作放棄地の解消」「農場残さの循環」「農業の6次産業化」を目指して、肉豚の放牧に取り組んでいる。同農園は阿武隈山地の一角、福島県郡山市の山間地で約30年にわたりカイワレ大根、トウミョウなどの水耕栽培を行ってきた。平成21年10月、地域耕作放棄地の解消と耕種部門から発生........
㈱会津地鶏ネットは、会津養鶏協会を母体として、17名の養鶏生産者を中心に平成19年に設立された。県の養鶏試験場から地鶏ネットに種鶏が供給され、会津地鶏ネットから各農家へ素ビナを供給する。また、加工品の販売も行っている。設立時より年間1万羽ずつ売り上げを伸ばし5万羽に到達した時に東日本大震災で........
NPO法人福島農業復興ネットワーク(通称:FAR-Net)は、被災地福島県の酪農の復興と循環型農業の発展を目的として平成24年1月に設立された。ミネロファームは「災害による酪農者救援・支援事業」の「ミネロ・パイロット・ファーム プロジェクト」の1つとして開設された、FAR-Netが運営する牧場........
新潟県山古志村(現:長岡市山古志地区)は、平成16年10月の新潟県中越地震で全村避難を強いられた。山古志アルパカ村は、域内の2つの集落に「ふれあい牧場」を設置し、その運営を集落内の任意組織の「アルパカ組合」に委託している。ふれあい牧場は、来場者から入場料を一切徴収せず、募金箱を設けて来訪者から一定........
妻有畜産グループは新潟県十日町市と津南町の10戸の養豚農家で組織しており、導入豚の隔離豚舎での検査体制を中心とした地域一体型の防疫体制システムを全国でいち早く構築し、運営してきた。そのため、全国の養豚経営者を悩ませているAD、PRRSはこれまで一度も感染がなく、清浄地域として維持されている。........
㈱フリーデンは3ヵ所の原種農場、7ヵ所の肥育農場で年間27万頭の肉豚を出荷する大規模養豚経営である。東日本大震災では、一関種豚センター(岩手県)第2農場8棟のうち5棟が使用不可能の状態となり、液状化も起こり、5,000頭の種豚が飼えない状態になった。そのため5月には群馬の大平牧場と岩手の大東農場に子........
㈱フリーデン大東農場は岩手県一関市にあり、105haの広大な土地で2万3,000頭の豚を飼養する。月間の出荷頭数は3,700頭で当社の7ヵ所ある肥育農場の中でも主力農場である。平成16年から、一関市大東町、(独)農研機構・畜産草地研究所、東京農業大学、全農グループと連携して「飼料米を活用した豚肉の生産........
大吉商店㈱は現社長(永谷武久さん)の曽祖父・大吉氏が牛馬の家畜商として明治29年に創業した老舗で、現社長は4代目。創業以来、時代の情勢に応じて生産農場、小売店、すき焼き店などを営むが、一貫しているのが「近江牛一筋」。武久社長は、近江牛の販路を首都圏の百貨店などに拡大するとともに、途切れていた生産部........
オクノは飼料の国産化を目指し、平成21年には飼料用米生産組合を設立し、自らが会長に就任して飼料用米の耕畜連携を進めている。さらに、平成23年から北海道の畑作農家と連携し、北海道産子実獲り栽培(飼料用とうもろこし)によるコーンを原料とした国産飼料原料による飼料給与を実現させている。23、24年産........
経営主の広野氏は地元JAに就職したのち、経産牛20頭で新規参入を果たした。直後に生乳の生産調整が始まり、経営状態は厳しくなるが、労働収益性の追求を第一に考え、効果的な投資とアウトソーシング化を図りながら徐々に規模拡大し、現在は経産牛260頭で、高い経営成績を収めている。育成牛は外部からの導入、飼料........
㈲大山牧場は、昭和63年にジャージー牛28頭を導入。大阪の乳業会社に出荷していたが、平成7年1月の阪神・淡路大震災を契機に生乳処理の多くを県外に依存することの危うさを感じ宅配を始めた。宅配部門での売上高は1,000万円を超えたが、その後、本業の酪農部門が手薄になり、経営全体の純利........
東京で土木設計の仕事に従事していた秦さんは、夫人の実家に戻り、肉用牛肥育経営を手伝う中で肉用牛の肥育技術と肥育素牛導入のポイントを体得する。その後、平成14年に農業開発公社からのリース事業で農地を取得し独立した。独立当初は乳雄肥育が主体で、回転が速く、販売差益も有利な状況が続き、所得の確保、順調な........
横田清廣さんは、平成2年にブロイラーの専業化に取り組み常時飼養羽数3万羽でスタートし、翌2年には5万羽に規模を拡大。しかし平成2年11月の雲仙普賢岳の噴火、翌年6月の大火砕流の発生により住宅、鶏舎、耕地を放棄、平成5年3月まで経営中止を余儀なくされた(この間は水道工事等に従事)。平成5年3月、ゼロ........
井村正信さん、高原和光さん、川田範英さん、井村純一さんの4人は、それぞれ酪農経営を行っていたが、平成2年の雲仙普賢岳の噴火、大火砕流等の発生により被災した。住宅、施設等が避難地域であったため、搾乳牛は県内の知人酪農家の空き牛房に分散して預け、育成牛は家畜市場に運び込み泊まり込みで飼養を続けた。........
古川さんは、平成2年の雲仙普賢岳噴火災害で被災し、平成4年9月、葉タバコ経営から降灰の影響を受けない肉用牛肥育経営に転換。家電メーカーの契約社員で働くかたわら、褐毛和種雌牛1頭の肥育から再スタートした。1頭を販売しては2頭の子牛を導入する増頭スタイルを貫き、また、褐毛和種雌牛→褐毛和種去勢牛→黒毛........
父の代ではブロイラー経営だったが、その後酪農経営(搾乳牛20頭)に転換し、さらに8年後に肉用牛肥育経営に経営転換した。経営主夫妻、息子の3人で、口蹄疫発生前には179頭を飼養していた。平成22年5月に200事例目の発生農場となり、179頭全頭を殺処分。8月27日の終息宣言後、11月から導入を開始し........
久美子さんは博多の非農家出身で、結婚してから普段の何気ない出来事をブログで語ってきた。登場するのは、母牛、子牛、飼い犬、主人、時々遊びにくる主人の甥っ子。まれに獣医が出てきて、診療や授精の様子を自らの視点で綴っていた。そんなブログをみて、田舎での牛飼いの日常に触れた人間も少なくない。平成22年5月........
黒木牧場は宮崎県西都市で肉用牛肥育経営を行っている。平成22年5月20日、市で最も早く口蹄疫の疑似患畜を発見し、家畜保健衛生所に通報した。その後、畜舎にいた198頭を全頭処分された。経営主の黒木輝也さんは40年間費やしてきたことが一瞬にして失われるショックから、殺処分の現場に立ち会うことができず、処分後2........
藤原牧場は口蹄疫発生前は飼養頭数1,474頭(乳用種305、交雑種996、和牛173)、牧草地4ha、労働力は経営主、長男、従業員4人であった。現在は、飼養頭数870頭(乳用種238頭、交雑種413頭、和牛219頭)、牧草地13ha、労働力は経営主、息子、娘、従業員3人となっている。飼養頭数は口蹄疫前の規........
当該経営は、生産部門の㈲宮崎第一ファームが銘柄豚「あじ豚」の生産、加工・販売・直営部門の㈱フレッシュワンが直売所「ゲシュマック」を立ち上げ順調に経営拡大を続けてきた。その成果が認められ、平成21年度農林水産祭で天皇杯を受賞した。ところが平成22年5月に口蹄疫が発生し、全家畜を殺処分することになる。........
藤岡数雄、美江子夫妻は和牛の子牛生産を行ってきたが、家族内協業という新しい形態で息子3人を後継者として育成し、経営継承を円滑に進めつつある。現在の経営規模は、成雌牛約220頭。数雄さんと長男真澄さんで100頭、次男悦郎さんが70頭、三男勇作さんが50頭と分離して責任を負わせている。家族内協業経営........
繁殖雌牛15頭、肥育牛35頭、子牛10頭を飼養している尾谷重光さんは、後継者がなく、一昨年に体調を崩したこともあって経営を親族以外の者に譲っても良いと考えた。近隣の牧場に勤務していた田中克寛さんを念頭に県姶良・伊佐地域振興局に相談した。振興局では両氏に「農業経営継承事業」を紹介するとともに両者の意思を確認して........
母豚300頭の一貫経営で、イギリス原産のサドルバック種という日本の他の養豚経営では飼養されない豚も飼養(母豚30頭)。地域で生産される甘藷(コガネセンガン)を自ら釜で炊いて飼料利用することにより、地域産物の有効利用と豚肉の高品質化を図っている。ドイツで7年間の修行を経てマイスター資格を取得した次........
福島県泉崎村で母豚300頭規模の一貫経営を行い、自ら生産した豚肉を加工して直売所「ノーベル」で販売している。震災で分娩舎や繁殖豚舎など5棟が全壊。母豚も100頭ほど淘汰した。約1億円を投資し、これを機に老朽化した豚舎を増改築して、現在は震災前よりも母豚を増やし、スリーセブン方式(繁殖豚をグルー........