経営者は新潟県の山間地にある旧山古志村(現長岡市山古志)で平成15年に肉用牛一貫経営の後継者として就農したが、翌平成16年に発生した新潟県中越地震で被災。牛舎が倒壊し、その下敷きとなって飼養牛73頭中30頭が死亡。水田、採草地、自宅も崩壊し、肉用牛生産基盤と生活基盤を同時に失った。残った牛を1ヵ月後に救出し、仮牛舎に移動したが、衰弱が激しく3頭が死亡・廃用となった。しかし故郷で牛飼いをしたいとの強い思いから、旧山古志村での経営再建を決意し、平成18年に旧山古志村の肉用牛仲間と「山古志肉用牛生産組合」を設立。国、県、市の助成を受けた共同牛舎・施設の建設、県の復興基金を活用した肥育素牛の導入により、平成21年には震災前の飼養頭数を上回る81頭まで経営規模を拡大した。その後は経営の安定化のために生産技術の向上に努めているほか、旧山古志村の伝統行事である「牛の角突き」に参加したり山古志産和牛の串焼きや精肉を販売したり、地域の活性化を図るための活動を展開している。