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家畜人工授精師・
家畜受精卵移植師

亀井かめい康子やすこさん 相模原ブリーディングサービス

代表 家畜人工授精師・
家畜受精卵移植師

繁殖のプロとして奔走する毎日

 神奈川県相模原市で家畜人工授精所を運営する亀井康子さんは、「わたしたちの仕事は、酪農家さんが求める牛を、酪農家さんと一緒になってつくることです」と話します。北は東京都あきる野市、南は神奈川県海老名市まで約50kmのエリアにある20軒ほどの農家の依頼を受け、奔走する毎日です。
 牛の発情を発見した農家から電話が入ると、半日後に農場を訪問します。発情の状態や体調を見極め、授精適期と判断したら、どの精液を注入するか畜主と相談。車に積まれた液体窒素ボンベの中から凍結精液の入ったストローを取り出して融解し、注入器に装填して授精作業をします。その後、1頭ごとに作成されたカルテに記録を書き込みます。カルテは亀井さんのオリジナルで、人工授精や受精卵移植、出産の履歴などが記され、その牛の繁殖状況が一目で分かるものです。農家、獣医、人工授精師が情報を共有し、繁殖管理に役立てています。

技術と気概を教えてくれた師匠との出会い

 亀井さんは農業大学校時代に家畜人工授精師の資格を取得しました。畜産関連の仕事などいくつかの職種を経て、北海道の乳牛育成牧場で子牛の哺育を担当していた30歳の時、資格を生かした仕事に就くことを決意しました。元気な牛ばかりでなく、虚弱な牛も生まれてくるのを見て、酪農家が育てやすい、いい牛を作る仕事がしたいと考えたからです。
 群馬県の農協で人工授精業務を約2年経験し、35歳の時に北海道の家畜人工授精所に就職しました。北海道でもトップレベルの技術を持つ上司の指導のもと、1日に多い時で100頭もの牛を診ながら、亀井さんは一人前の家畜人工授精師として成長していきます。直腸検査では、女性は身長や腕の長さの面で苦労する傾向がありますが、腕の角度を工夫することでそれをカバーできることも、師匠である上司が教えてくれました。親を介護するため、10年在籍した家畜人工授精所を辞めて神奈川県に戻ってきた亀井さんは、当初、開業を考えていませんでした。ところが、農家の間で「技術を持った人がいるらしい」と口コミで広まり、2020年に専業として独立しました。

農家と強い信頼関係を結ぶために

 牛の肛門から腕を差し入れ、直腸ごしに子宮や卵巣の触診をする直腸検査は、手や指の感覚だけが頼りです。診断の精度をさらに上げるため、亀井さんは携帯型の超音波画像診断装置(エコー)も導入しています。
 「この仕事は、お客様に信頼していただかないと成り立ちません。エコーは正しい診断の手助けになりますし、お客様は卵巣の画像や状態を確認できると安心しますよね」
 農場の経営を支える立場として、1頭1頭の牛の状態をしっかり観察するのはもちろんのこと、家畜市場の動向を把握し、加えて新しい知見を得る努力を重ね、有益な情報を提供することも心がけています。こうした仕事に対する姿勢は、農家との信頼関係を築く礎になっていますが、それだけにとどまりません。訪問先では家族にも心を配り、気さくに言葉を交わす亀井さん。「私は自分の役割を『半分は技術職、半分はサービス業』だと思っています。ときには子供を持つ母親同士で悩みを分かち合ったり、おしゃべりの相手になったりすることもあります」と話し、女性ならではの経験や視点も仕事に生かしています。

技術の進化とともに、自らも成長し続ける

 亀井さんは非農家出身ですが、牛が好きで畜産科のある高校に進み、それ以来ほぼ牛に関わる生活を送ってきました。家畜人工授精師として働く今、「うれしいと思うのは、優秀な牛が誕生して酪農家さんに喜んでもらえた時、そして、その牛が共進会で活躍する姿や、乳量に優れるなど高い能力を発揮している様子を見られた時」と話します。
 理想とする家畜人工授精師は、受胎率の高さで成果を出すことはもとより、「農家に何を聞かれても、すぐに答えられ、より良い提案ができる繁殖のプロフェッショナルであること。」人工授精技術の進化はとどまることがなく、常に勉強が必要です。「新しい知識を吸収し続けられることは、この仕事のやりがいでもあります。大事な牛を預けていただくからには、農家の要望を100%叶えられるお手伝いがしたいです」と、亀井さんは語ります。

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