雲仙普賢岳噴火災害から 共同で農用地を集積し酪農を再開

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 私たち4名は、それぞれ酪農経営と、露地野菜を被災前に行っていましたが、平成2年11月の雲仙普賢岳の噴火、3年6月の大火砕流の発生により被災しました。
 住宅・施設等が避難地域であるため、3名は県内の知人である酪農家の空きスペースに数頭ずつ分散、飼養をお願いし、育成牛は県の家畜市場に運び込み、泊まり込みで飼養を続け、片道40kmぐらいの仮設住宅から通い、管理しました。私は、県内の空き牛舎の紹介を受け、空き牛舎の規模から、20数頭は屠畜にまわし、育成牛は仲間と同じ家畜市場に運び込むこととなりました。
 また、避難先での家畜の飼養において、即、難問が出てきました。それは毎日出るふん尿の処理の問題です。おがくずに吸着させ、引き取り先をみつけることが毎日の仕事で、それをみかねた被災先の近所の方々が、畑を貸してくれました。その畑にふん尿を単に置くだけではいけないので、そこに被災前よく栽培していた野菜を作付することになりました。
 野菜の作付作業は被災している友人にお願いし、それでも処理できない分は被災区域外にある自分の土地まで、往復4時間ぐらいかけてふん尿を運び込みました。家畜を避難させた全員の最も大きな問題で、長期化する中、頭数を減らす要因ともなりましたが、そういった中にも、20年経過した今日でも、被災・避難した近所の方々との交流が続いていて、今ではむしろ本当によい思い出となっています。ありがたいことです。