震災を乗り越えた若き牛飼いの道のり

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 残された牛は救出するまでほとんどえさを食べておらず、骨と皮だけといった体つきで、死に物狂いで生きていたのだということが一目でわかりました。
 そんな中、地震直前に生まれた子牛に、母牛は身を削って乳をあげていました。本当の生きる強さを目の当たりにし、また、そのような状況にもかかわらず、1頭も流産することなく元気な子牛を産んでくれました。またここから出発できる、そんな思いにしてくれました。
 救出した牛は、牛仲間や家畜商のつてを頼って、長岡市に隣接する魚沼市内の牛舎を紹介してもらうことができ、冬は片道2時間の道のりを1年間通い、世話をしました。その後、仮設住宅に近い長岡市の牛舎を紹介してもらうことができ、そこで2年間、合わせて3年間、山古志を離れて飼育しました。
 地震直後はとりあえずほかの仕事をするしかないと思っていましたので、牛が飼えるということがこんなにもうれしいものなのかと実感したのを覚えています。地震から4日後、疲労により父が1ヵ月間入院したことから、牛の管理は私1人となり、実質この大震災を機に跡を継ぐ形となりました。