家畜のプリオン病・スクレイピーの早期診断法の開発品川 森一
家畜のプリオン病の1つ、牛海綿状脳症が種をこえて、各種動物のみならず人にも伝達することが明らかとなり、世界中がパニックに陥ったことは記憶に新しい。牛海綿状脳症の発生は羊プリオン病であるスクレイピーの特殊なプリオン株が、飼料を介して牛に感染したためと考えられている。スクレイピーは世界各地で発生していて、わが国には1974年にカナダから北海道に輸入された羊とともに侵入したと推定されている。 スクレイピーに代表されるプリオン病は、その病原体であるプリオンが宿主の膜糖蛋白である細胞プリオン蛋白(cellular prion protein Proc)に由来する構造異性体PrPscから構成されているため、感染している宿主はプリオンに対する免疫応答を示さない。このために、スクレイピーの診断はもっぱら臨床症状と中枢神経系組織の病理組織学的所見をもとに行われてきた。このことは、発症し、さらに病理解剖を行わなければ診断できないことを意味している。一方、スクレイピーに感染してまだ発症していない段階でも雌が出産すると、その胎盤等後産に病原体が検出される。スクレイピーのおもな伝播は、このようなプリオンを含んだ後産を、直接あるいは間接的に子供および周辺の羊が摂取することによって起きると考えられている。すなわち、発症以前の段階で感染している羊を診断摘発する方法はなかったため、スクレイピーの侵入阻止と撲滅が困難であり、結果としてわが国を含めて、世界各地に広がった。動物プリオン病の撲滅のためには、一般の感染症と同様に、潜伏期にある感染動物を診断・摘発する方法の確立が重要である。また、動物のプリオンが人へと伝達することが危惧される現在、広範に使用されている畜産物由来医薬品・化粧品原料の安全性を確保するうえで、汚染プリオンの検出法の確立が必要とされている。 われわれは、プリオンの構成蛋白であるPrPscを検出することによって、プリオン感染を発症以前の段階で診断・摘発する高感度法を開発してきた。これまでの研究の経緯を以下に述べる。 われわれは、原因不明疾病として帯広畜産大学に搬入された羊疾患について、スクレイピーの可能性を疑って、マウスを用いて病原体の分離を行った。1このとき分離されたスクレイピーObihiro株を以後のマウスモデルの研究に使用した。 プリオンを構成するPrPscが唯一スクレイピーの動物に検出される異常物質である。このPrPscが感染後どのような臓器にどのような時期から出現するかを調べるために、スクレイピーのマウスモデルで調べることを計画した。
PrPscを検出するためには、PrPscがアミロイド繊維として凝集したscrapie associated fibrilsを電子顕微鏡で観察する方法が報告されていたが、検出感度が低いことと操作の煩雑さをともなっていた。そこで、まだPrPscに対する抗体についての報告はまれであったが、われわれは免疫学的手法を選択して、まず、PrPscに対する抗体の作成を試みた。2はじめはスクレイピーマウス脳から精製したプリオンを抗原として家兎で抗体を作成した。この抗体は抗体価がじゅうぶんには高くないことと、わずかに夾雑する蛋白に対する抗体も存在することが分った。そこで当時はじめてSB Prusinerによって報告されたPrPscのN端のアミノ酸配列に基づいて15アミノ酸からなる合成ペプチドを作成し、これを抗原として家兎を免疫した。この抗体は抗体価も特異性も高かった。3ちなみに、このPrPsc上の領域は合成ペプチド抗原として適しているため、現在も各国の研究者が抗体作成に頻用している。細網リンパ系組織にも対応可能なウエスタンブロット用試料の調整法を開発した(図1)。 PrPscは、当初、発色基質を用いた通常のウエスタンブロット法で検出したが、検出感度が低いため、125I標識ストレプロアジビンを用いたオートラジオグラフィーを導入した。スクレイピーマウスの1%脳乳剤を200μL腹腔内接種したマウスを経時的に安楽死させ、脳、脾臓、リンパ節および末梢血の白血球を採取し、プールしてPrPscの検出に供した。 表1に示すように接種後22週から発症するマウスが出現した。PrPscは12週目の脳からごくわずか、24週目および30週目には高度に蓄積していた。脾臓には5週目以降、24週目の脳に比べれば少ないが明瞭に検出され、リンパ節には6週から検出された。白血球からは検出できなかった。すなわち、PrPscの蓄積は中枢神経系組織に先立って細網リンパ系組織にみられ、この蓄積は発症に16週ないし17週先立っていた。スクレイピーに感染してるが一見健康にみえる潜伏期でも、細網リンパ系組織にはPrP scが検出されることが分った、この研究がスクレイピーの発症前診断法開発の糸口となった。 これらの成績はあくまでマウスモデルから得られたものであるため、次に自然宿主である羊での実証を試みた。 現在では、羊のスクレイピーに対する感受性はプリオンのアミノ酸多様のうち、コドン136とアラニンの野生型がバリンに変わったものは感受性で、コドン171グルタミンがアルギニンに変わったものは抵抗性であることが分っている。5実験をはじめた時期にはこのことはまだ分っていなかったため、ランダムに集めたサフォーク種の羊に帯広株を分離した羊の脳乳剤を静脈内接種した。また、スクレイピーの野外例、食用として屠畜場で殺処分された個体および帯広畜産大学で研究用として殺処分された一見健康な羊の脳、脾臓およびリンパ節を収集した。マウスモデル実験で使用した抗体は、羊のPrPscを検出するためには不向きであることが分ったため、スクレイピー羊から分離したプリオンをSDS―ボリアクリルアミドケル電気泳動によりPrPscを精製して、家兎を免疫した抗体を新たに用意した。実験接種した羊ではマウスモデルと同様に、接種後経時的に安楽死させて、脳、脾臓およびリンパ節を採取する場合と、同一個体から繰返してリンパ節を外科的に摘出する方法を組み合わせた。 表2にこの実験の成績をまとめた。スクレイピー野外例ではすべての脳から、および脾臓あるいはリンパ節のいずれかからPrPscが検出された。屠畜場から収集したどの組織の試料からもPrPscは検出されなかった。研究用に使用された羊のうち3個体の脾臓およびリンパ節から、また、それらのうちの2個体の脳からごくわずかであるがPrPscが検出された。この3例の脾臓およびリンパ節をマウスに接種しスクレイピーの感染を確認した。接種後14ヵ月のリンパ節のパイオプシーによりPrPscが検出されて、その5ヵ月後に発症した個体が得られたこと、一見健康な個体からPrPscが検出され、マウス接種で感染が確認されたことなどから、未発症スクレイピーの摘発が可能であることが証明された。さらに、スクレイピー汚染群の子羊のリンパ節バイオプシーを行いPrPscが検出され、その後の発症を確認し、PrPscの検出による早期診断が有効であることを確認した。78なお、この症例は、健康時にスクレイピー感染を摘発し発症によって確認された世界ではじめての自然例であった。 PrPscの検出感度は、ウエスタンブロットの検出に発色基質を用いた通常の方法に比べ、125I標識ストレプロアヒジンを用いたオートラジオグラフィー法は10数倍高い。しかし、より早期に診断を行うには、PrPscの検出感度をさらに高める必要があった。幸い、ペルオキシダーゼ標識二次抗体と化学発光基質を用いた系が開発され市販にいたったため、この方法を導入した結果、さらにおよそ10倍ほど検出感度が高くなった。 この方法を用いて、スクレイピーのサーベイランスを行った。主として、羊が飼養されている中部地方以北の屠畜場から集められた羊の脳、脾臓およびリンパ節を対象としてPrPscの検出を行った。250個体、469組織を調べたが、いずれの組織からもPrPscは検出されなかった。9 PrPscはスクレイピー感染後、じょじょに組織中に蓄積されてくる。より早期はPrPscを検出するためには、微量に蓄積しているPrPscを効率良く選択的に抽出濃縮することが必須である。われわれはふたたびマウスモデルに戻って、試料調整法の改良を試みた。10 これまで、PrPscを組織から抽出する方法として、あまり強力でないイオン系界面活性剤中で組織をホモゲナイズしていた。脳組織を対象としているかぎりとくに問題はないが、細網リンパ系組織の場合は、相対的にPrPscの量が少なく結合組織含量が高いため、最終的な試料中に夾雑蛋白が多量に含まれていた。その結果、1度に解析できる出発組織の量に限度があり、微量しか含まれていないPrPscは検出できなかった。そこで、前処理として細胞DNAを酵素分解する際、結合組織もコラゲナーゼで分解する方法を導入した。一部、電気泳動後の蛋白を膜に移す際の方法にも改良を加えた。 以前は、感染後5〜6週目からはじめて脾臓にPrPscが検出されただけであったが、この改良した方法では、解析する組織量を増すことができる利点もあって、接種後7日から検出できた。さらに、ごくわずかなシグナルとしてしか捉えられないが、接種当日に接種プリオンのPrPscも検出できるまでに感度が上昇した。 プリオン検出によってスクレイピーの早期診断を行うにあたって、ウエスタンブロット法は時間もかかり煩雑である。免疫学的に抗原の検出を行うために、ELISA法が一般的に用いられている。そこで、ウエスタンブロット法に換えてELISA法の確立をはかった。11PrPscをELISA法で検出するうえで問題となる点がある。PrPscはPrPcの構造異性体であり、抗原的に区別がつけられない。しかし、PrPcは蛋白分解酵素に感受性で非イオン系界面活性剤で可溶化するが、PrPscはペプチドの約3の2が部分的に蛋白分解酵素抵抗性であり、アミロイドの形に凝集しているため、非イオン系界面活性剤では可溶化しない。この性質を利用して試料中からPrPcを除き、ウエスタンブロットでパターンを確認しているがELISA法ではPrPcの残存、非特異反応の存在を検知できない。この点は試料調整法の信頼性を確認した。いま1つは、アミロイド状で不溶性のPrPscを抗原抗体反応の場に加えられるように可溶化させる方法である。現在のところ、サンドイッチ法は成功していないが、PrPscをプレートに吸着するように可溶化するためには、3〜4Mのチオシアン酸グアニジンが有効なことを発見した。この方法でELISAを行い、ウエスタンブロット法との比較を行った。脳および脾臓のいずれでも、ウエスタンブロット法に比べて簡便であり、さらに感度はおよそ4倍ほどであるが高かった(図2)。 ELISA法により北海道の屠畜場で処理された羊293頭の組織に応用した。検査したすべての個体は陰性であった。この応用試験から、脳組織を扱うかぎり試料調整が簡便なために、ELISA法は多数検体にじゅうぶん対応できることが分った(未発表成績)。 ここで開発したELISA法は簡便ではあるが、PrPscの検出感度はウエスタンブロット法に比べて際立って高いというわけではない。そこで、発色基質を用いた検出系から化学発光基質を用いた検出系に換えた。その結果、感度がおよそ10〜20倍高まった。 各種検出法による検出感度の比較を表3に示した。マウスモデルのスクレイピー脳には脳1g当りおよそ108LD50のプリオンが含まれている。この価をもとに、感染価で比較すると、化学発光を用いたELISA法では0×102LD50、発色基質を用いた場合0×103LD50、化学発光を用いたウエスタンブロット法で0×103〜1×104LD50のプリオンが検出できる。この感度は、現在一般に実施できるPrPscの検出法の中では最も高い。 われわれは、高感度の検出系を用意できたため、医療品および化粧品の原料として使用されているコラーゲンやゼラチンなどの畜産物のプリオン汚染検出法のための試料調整法も検討している。
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