明日への息吹

がんばれ肉用牛農家「先生は山に隠れる」

−指導者は地域を変えられるか−

中 村 弘 樹



 高知県吾川郡池川町は、高知県の中で中山間地域の代表選手とも言うべき典型的な町です。しかし、かつてはこの町は四国有数の木材産地として栄え、高知市内からもこの地に観光、レジャーを求めて、また、愛媛県にも近いことから人の交流が盛んな町としてその華やかさは一世を風靡した町でした。その後、時の流れの中で木材景気が終りを告げ、高齢化が進む中で、人が去り、昭和30年に8,121人いた町人口は平成2年には2,744人となりました。500世帯ほどが村を後にしたこととなります。現在も40歳以上が大半を占めるいわゆる高齢山間地域です。
 この地に、あるきっかけで農業を人生の最後の仕事にしようと決めていた県の畜産試験場の先生が、あえてその仕事を断念し、町役場に就職しました。野芝の権威者として芝の畜産利用を全国に説いた元県畜産試験場飼料科長・岡本一志氏です。今回、氏の活躍と畜産との関わりをこの山間地帯を中心にして紹介します(写真−1)。



写真-1 地域に貢献する岡本一志さん


 高知市より西北へ25km、仁淀川(高知県のほぼ中央を流れる大河)の上流に広がる「森と清流の町」と言うイメージは良いが、はっきり言って田舎に池川町はあります。しかし、かつての日本人が失った、そして、たぶん誰もが心の中に持っている風景がここにはあります。そこに引かれたかどうかは解りませんが岡本先生は第2の人生としてこの地を選びました。最初この話を聞いた時、何故、また、どうしての疑問符の2連発でした。私的なことですが、私は先生に随分とお世話になっていました(先生と言うのは私にとって畜産の先生であると同時に目標とする人なのでした。先生は迷惑でしょうが)。その先生が農業をするといって退職し、踵を返して役場の職員になられました。ウーム人は解らん。しかし、その地に先生を尋ねて試験場にいた時とはまるで違った生き生きした先生の姿がありました。
 ここで先生の人となりを紹介します。読者諸兄は「いごっそう」という言葉を聞いたことがおありだろうか。頑固者とか、へそ曲がり等悪く理解されている旨もあるが、決してそういう人間を指して呼ぶ言葉ではありません。土佐でいう頑固は、筋の通った一徹のある人間であり、へそ曲がりではなく納得が行くまで我を通す人のことです。まわりが何と言おうと我れ納得するまで意に介さず、しかし、一旦理解すると誰よりも信頼出来るこの人達を「いごっそう」と呼ぶのです。我が師はまさにこの「いごっそう」です。私ども畜産会の非常勤畜産コンサルタントをお願いしてから先生との付き合いは十年余りとなります。高知県の東から西へと、ご無理を言って農家へのご同行を願い、その度に都合をつけて必ずと言って良いほど畜産コンサルテーションには協力をして頂いていました。先生の持論は試験、研究は最後に農家に役立ってはじめてその意味があるというものです。フィールドを知りフィールドに生かす。農家に普及してはじめて試験研究の意味がある(当たり前と思うでしょう。しかし、現実はどうですか。なかなかそうはならないのでは)。
 先生は帰全農場(現在の農業大学校)の出身です。ここで学びその後、アメリカ合衆国カリフォルニア州に渡り園芸作物の勉強を行い、その後、県職員、教師として帰全農場に帰って来ます。その後、異動で畜産試験場へ配属されました。大学校時代も畜産を教え、畜産試験場では飼料科長、大家畜科長を歴任し平成7年に退職するまでこの道一筋、まさに名前と同じ一志です。


標高1000mの牛飼い

 その先生が、現在心血を注いで改善しようとしている地域があります。町の中心から北西の山に車でおよそ20分ほど曲がりくねった道を上がると視界が急に広がります。同町坪井地区(標高750m)、かつて県営のパイロット事業によって蚕生産の一大基地として開拓がすすめられ、山の頂上付近に広大な桑畑と当時としては大きな蚕舎が建設された地域です(写真−2)。この地域は、車を降りると、カマボコ型の家とも作業場ともつかない建物をまず目にします。その周囲に人家が点在し、まわりの畑はすべて桑畑(その面積、実に18ha)です。カマボコ型の家は蚕舎、つまり、ここは今風に言えばシルク・プロダクション・ゾーンだったのです。だったと言うのには理由があります。まゆの生産は現在は行われていないのです。国際価格競争に敗れ、需要が化学繊維等にとって代わられたために、この地の養蚕は平成8年を持って消滅しました。広大な桑畑と蚕舎が残りました。



写真-2 収穫のすんだ桑畑


 地区の人達は一度は大変落胆したことでしょう。しかし、蚕生産時から肉用牛の飼養も行われており、このことが現在の肉用牛の子牛生産基地として浮上するきっかけとなりました。とにかく山の上と言うことで市街地のような環境問題等はありません。加えて条件的にも肉用牛にとってよい条件を備えていました。山頂近くには数十ヘクタールにも及ぶ野草利用が出来る土地、さらには山頂(標高1000
m)に至る数十ヘクタールの遊休林地がありました。このことから省力農業として始められたのが夏山冬里放牧経営です(写真−3、4、5)。



写真-3 標高1000m付近の放牧風景・・・・夏



写真-4 悠々と牛へは草を食む



写真-5 放牧地にある簡易牛舎


 岡本氏はこの地に着目し、電話で私に、「とにかく広い草地がある。地域の人達が見失っている農業経営が可能だ」と話してくれました。現在地域の人達の収入は農外従事によるものが多く、私がコンサル調査した農家も奥さんが牛の飼養を行い、ご主人は働きに出ている経営でした。この地は山の上には珍しく湧水によって豊富な水があります。そして良質の堆肥があります。ここから岡本氏は、この地に牛と夏期の冷涼野菜の経営をあてはめて検討していました。とにかく野菜の知識もあり、肉用牛も実際経験のある人だから説得力があります。加えて強引なまでの率先力、これによって氏は地域にしっかりと溶け込んでいます。
 一例を紹介しましょう。桑の残条サイレージは日本飼養標準にも載っているのでご承知のことと思いますが、桑のサイレージはご存じでしょうか(使っている地域があったらごめんなさい)。先にも書いたようにこの地はかつての蚕産地だから桑は充分にあります。これをサイレージにすれば良いではないか。とかく冬場は山の上だけに飼料が不足気味で、かつては愛媛県からもワラの購入がありました。これでは労力的にも経営的にも大変です。桑をダイレクトにサイレージ加工してこれを利用することで、現在、この地では養蚕で不要となった桑が大切な冬の貯蔵飼料となっています(写真−6、7)。



写真-6 桑のサイレージを食う牛


写真-7 サイレージのためのコンパネサイロ(約5m35+FRPサイロ20m3


 氏は言います。農家が農業で経営をすることが出来なければ後継者は育ってこない。そのためにも農業のよさを農家自身が自覚し、その地にあった条件での農業ができ、農外収入以上の収入を得ることを地域リーダーとしての役場、
JAは考えなければならない。農家がついてこなければ自ら実践するくらいの覚悟で望むこと(この情熱はどうだ。今の官庁タイプ指導者に何人いるでしょうか)。氏は実際に試験場時代に農家の放牧場の建設にも自ら参加している等、とにかく農家サイドから農業をみることの出来る指導者です。
 この地の牛について氏の言葉で少し紹介します。この地は全て繁殖経営の農家です。養蚕時代に残渣・残条の粗飼料利用と夏山放牧で徹底した低コスト生産技術をもっています。特に放牧で問題となる繁殖成績や親子同時放牧における子牛の下痢や運動過剰による発育遅延はほとんどありません。市場取引においても他地域の子牛と同価格で取引されています。「おそらく県下一の低コスト繁殖地域と思う」と氏は言っています。
 最近、畜舎の中で繁殖させ、集約管理で良好な繁殖成績をあげている経営が全国各地にあると聞きます。しかし、牛は自然の中で草をはみ子牛を生み育てて一生を過ごします。これが本来の自然の姿ではないでしょうか。私はこの地を訪れる度に、肉用牛経営の本当の姿を見るような気がします。


この地域の今後の取り組み……

地域完結型農業の確立を目指して

 実に標高1000m、夏は涼しいが冬の寒さは格別です。昨年、冬季にコンサルテーションの本診断にうかがった時、積雪が30cmぐらいあったように思います(写真−8)。北国にとっては何ともないでしょうが本県にとっては大変です。放牧は4月の中下旬から11月まで行われ、この間農家は飼料作物の栽培、桑の手入れ、新たな牧区の管理、そして農外収入を求めて働きに出ます(写真−9)。この働きに出る部分をなくすことが出来たらと考えたのが岡本氏です。



写真-8 冬はこのとおり大雪も降る



写真-9 サイレージのための桑の採集風景


 秋の一日、私はこの地の内容を知りたくて氏を訪ねました。そして雨の中を坪井地区へ上がりました。上がって行く時は急傾斜面ですが、その後パッと開けたところに集落があり、そこから5分もかからぬところに広大な放牧地があります。牛はノンビリと雨の中にいました。変な人間がきたなとでも言いたげそうな柔らかなまなざしでこちらを見ていました。さらに登ると道路から下の集落を一望出来る場所となりました。広大な桑畑の中に集落がありかつての蚕舎があります。はるか下の方は町が見えました。
 言わばここは気候的にも、また、位置的にも隔離された非常に特徴のある地区と言えます。だからこそ、ここで出来る農業がある筈です。米こそ栽培出来ませんが、畜産と兼ね合わせた農業はできる筈です。野草等の未利用資源を利用することにより低コスト化してさらに増頭することが可能であり、優良雌牛の導入を図りながら雌牛の頭数を約100頭程度にする、こうして農家が市場開設日に毎回1〜2頭の子牛を出荷出来る経営を目指す。その一方で夏季の冷涼な気候を生かして冷涼野菜や花木、さらに休眠中の蚕舎施設を利用した菌床椎茸栽培、湧水地帯に自然に繁殖するワサビ、さらに土佐ジローの飼育(本県の特殊鶏)等による複合経営によって農業基盤を確立し、さらに景観を生かした観光等(スーパー林道が貫通しつつある)が展開できると思われます。氏は地区の人達と額をよせあって地域完結型の農業の完成を目指して奮闘しています(写真−10)。



写真-10 土佐ジロー飼育風景


 ではどうしてこれほどまでに山間地にこだわるかと言うと、氏自身の出身が山間地域だからではないでしょうか。高知県の中央部
N村の出身とあり、自らの故郷と重ねあわせると人事とは思えないのではないかと私は感じました。確かに産業がなければ若い労働力は流出し中山間地域は高齢化が進み、活力を失います。さらに人口の減は、その地域のみならず、その町そのものの活力減につながります。魅力的産業のない中山間地域はなおさら深刻でしょう。しかし、中山間地域だから出来る産業・農業の創造は可能であると考える人はあまりいません。もしこの地域が先述した様なとりくみによって、ある程度の成功をしたとすればこの地域の人達の大きな自信となる筈です。そして他地域への模範となることも出来ます。この地域は、畜産と兼ねあわせた地域産業の確立をめざし、未利用資源の有効活用等により養蚕で一度失った意欲を取り戻しつつあります。指導者の試みは少しずつではありますが確実に実を結びつつあります。意欲があり有能な指導者を得たなら、山間地域といえども決して他に劣ることはないと私は感じました。

桑サイレージ栄養内容について


 この指導者の活躍によってこの地域が本県の山間地域の農業模範となることを願い今回の筆を置きます。



池川町の位置

(報告者:高知県畜産会畜産コンサルタント)


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