明日への息吹

山椒は小粒でぴりりと辛い

―連産への挑戦、ある肉用牛繁殖経営のとりくみ―

牧野 勝

 

はじめに

 肉用牛経営をめぐっては、飼養者の高齢化、後継者不足に加えて輸入牛肉の増加等による枝肉卸売価格の低迷などから、小規模農家を中心として飼養戸数の減少が続いています。反面、繁殖経営では多頭飼養経営の増加がみられます。平成8年畜産統計によると、富山県の子取り用めす牛の1戸当たり平均飼養頭数は15頭となっています。
 一方、昨年は、狂牛病問題、病原性大腸菌O−157をめぐって牛肉の消費が停滞傾向を示しました。
 このような環境のなかで、富山県立山町野村地域で夫婦2人で肉用牛繁殖経営を営み、連産に挑戦し和子牛の低コスト生産につなげている品川元之(66歳)さんの経営を紹介します。平成8年12月21日の「ひめまつ8号」の分娩が、県内における多産記録を更新(16産)したとのことで新聞にも紹介されています(記事は後掲)。


地域の概要

 品川さんが経営を営む立山町は、富山県のほぼ中央部富山市から車で約20分程度南東に位置し、霊峰立山と立山を源流とする常願寺川流域に広がる平野を有する緑豊かな自然と景観に恵まれた町です。
 畜産農家戸数は23戸で、そのうち肉用牛飼養農家戸数は9戸−うち5戸が繁殖農家−となっています。
 立山町の平成7年農業粗生産額は54億4200万円、そのうち畜産の粗生産額は5億7900万円、肉用牛部門は5700万円です。


経営の概要・歩み

 品川さんが畜産に従事するようになったのは、昭和30年に繁殖母豚2頭を導入し、養豚部門をとりいれた水稲との複合経営を開始したことに始まります。繁殖母豚は6頭まで増やし、肥育をとりいれて一貫としましたが、当時の豚価の低迷や伝染病の発生などがきっかけとなり、養豚を中止し、肉用牛繁殖部門へと昭和39年に転換をはかりました。
 既設の豚舎を繁殖牛舎に改造し、当時の繁殖雌牛の貸付け制度を活用し、繁殖牛1頭からスタート、生まれた雌子牛は自家保留しながら頭数を漸増してきています。
 現在の飼養頭数は、繁殖雌牛6頭、子牛4頭です。


ひめまつ8号の分娩記録

 平成8年12月21日、分娩予定日より3日遅れて、品川さん待望の「ひめまつ8号」に16産目の子牛が生まれました。普段は、分娩前後の管理には注意を払い、牛舎で分娩には必ず立ち会っていました。しかしながら、この時にはたまたま外出していて分娩に立ち会うことができませんでした(当然のことながら、牛の状態を観察してから外出しているのですが)。
 外出から戻ってみると、すでに子牛が生まれていました。舎外(運動場)での分娩であり、子牛の体は泥まみれとなっていて体温を計ると35度まで下がっていました。
 さっそく獣医師に治療を依頼するとともに、子牛を毛布でくるみ体温の低下を防ぐ処置をとりました。治療を終えて、獣医師は帰途につきました。そこから、品川さんの必死の看護がはじまります。
 赤外線ランプ2つで暖をとり、子牛の体についた泥を少しずつ落としたり、初乳を2回に分けて飲ませるなりの必死の看護を試みます。この看護が功を奏して、翌日(12月22日)午後に自力で立ち上がるまでに子牛は回復しました。
 この時生まれた雌子牛は、生後1ヵ月後に白痢に罹り、治療に2日間を要した以外は病気もせずに育っており、「生育は順調」と獣医師もおどろいています。
 品川さんは、今後17産目にも挑戦したいとしています。


普段から心掛けていること

○ 技術面

@ 繁殖雌牛の状態を健康に保つため、牛舎内の風通しをよくするために窓を大きくとり、日中は運動場へ放して運動・日光浴をさせています。また、妊娠が確認される町営の公共牧場へ分娩が近くになるまで放飼します。
 粗飼料は、稲ワラを主体に給与していましたがビタミン等の不足が考えられたので、堤防や畦の草を刈り取って生草を給与し、残りを乾草にしています。冬期間トウモロコシサイレージと乾草を給与するなどして牛の健康維持に取り組んでいます。

A 子牛の育成管理では、下痢の発生や運動不足から発育の遅れがありましたが、牛舎内の消毒の徹底を図ることや運動場の確保により、現在では発育が向上しています(平均DG0.9kg)。

○ 経営面

@ 経営収支、種付け・分娩の繁殖記録をとることや、自給飼料分析結果や販売した子牛の枝肉成績等の情報を集め保管し、その情報の活用(肉質を重視した種雄牛の選定や飼料給与改善)に努めています。

A 新しい技術、情報について積極的に研修会等へ出席してその入手に努め、経営内へとり込むよう努めています。

B 経営という点では直接関係ないのですが、繁殖雌牛については補助金を受けて導入しているものが多いため、「そのお返しを考えている」ということでした。品川さんは、これまで家畜改良事業団の間接検定の検定調査牛に2頭提供しました。


これからのこと

 昭和39年に繁殖雌牛を飼いはじめてから30年余が経過しました。これまでの歩みを振り返ると、和子牛価格の動向ではなく、生まれた子牛の多くを一度に病気で失うことを何度か経験し、そのことがつらく経営を左右したといいます。その危機を夫婦2人で乗り切り、研修会等で留守がちな元之さんの不在時には、奥さんが牛の管理を担ってきました。
 品川さんの年齢や後継者がいないことなど、筆者としてはさびしく感じますが、品川さんにこれからのことを伺うと、次のような答えが返ってきました。

@ 最初の導入牛「まこと号」の系統の子牛で、共進会上位入賞を果たしたい。

A 年齢を考えるといつまで繁殖雌牛を飼えるかわからないが、繁殖のあとは養蜂にもう一度取り組んでみたい。

   品川さんは、これまでの長い農業・畜産の経験を生かして、地域リーダー的役割を果たされ、これからは後進に道を譲る立場となりますが、これからも常に前向きに積極的に、意欲をもって経営にあたっていだだきたいと思います。

 

(筆者:富山県畜産会畜産コンサルタント)


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