牛から習った技術でゆとりの酪農

 

櫻 井  昇


トランシットからミルカーへ
 群馬県安中市で、土木技術者から酪農家に転身、ゆとりの酪農を続ける「なかじまデーリィファーム」の経営者中島博明さん(48歳)の技術と経営、考え方などについて私見を交え紹介します。

 中島さんは、国立工業高専卒業後大手建設会社で土木設計技術者として働いていました。就職して1年後酪農をしていた父が急病で倒れ、酪農家の長男として経営存続について迷いました。多くの仲間、周囲の人たちの反対もありましたが昭和48年酪農継承を決断しました。決断した大きな要因は終生他人の下で働くより、自分の意のままにできる酪農に密かな期待があったからです。

 測量機器のトランシットからミルカーへ期待を胸に転職です。


中島牧場のある安中市
 安中市は群馬県の交通の要衝、高崎市から西におよそ10km、国道18号線に沿った人口およそ5万人の農村都市です。小さな山に囲まれた畑作地域で、かつては養蚕の産地でありました。養蚕業の不振にともない、こんにゃくの栽培が盛んでしたが、現在ではこんにゃくも減少し野菜栽培が多くなっています。畜産は酪農、肉用牛、豚が主なものですが生産環境の変化、後継者不足により減少傾向になっています。安中市の農業の概要は表−1のとおりです。

表−1 安中市農業の概要


酪農開始にあたって考えたこと
 第一は、どういう経営形態で酪農を営むかでした。関係指導機関は飼料価格高の状況から、自給粗飼料栽培中心の酪農を勧めていました。しかし、小区画で傾斜のきつい耕地で、かつ面積の少ない経営体では自給粗飼料に依存する経営は発展できないと考えました。円安、購入飼料高の当時は自給粗飼料栽培には関心がありましたが、前述した条件から自給飼料型酪農はあきらめるのが賢明と思い、購入飼料依存の経営方針をたてました。

 第二は、酪農経営技術成果を数字に表すことです。当時は一般的に乳は搾れば売れる時代で、牛の能力や経営内容等に比較的関心がなかったようでした。したがって、単位当りの能力、生産量、所得等について明確でない経営体が多く、県や国の経営の指標がでてもそれと比較する資料のないのが姿だったと思います。


自分の酪農経営スタート
 昭和48年酪農継承に当り総合施設資金を2000万円借入れ規模拡大をしました。経営方針は購入飼料依存型酪農で、話題の大きかったハイフードシステムを導入しました。この方法は消化率の悪い大豆の皮、トウモロコシの皮等(未利用資源)を蒸気で加熱し消化率をあげる方法です。これを昭和50年ごろまで実施し、一定の成果を上げることができました。このことから購入飼料依存の酪農で何とかなるとの自信がつき、その後の規模拡大もこの方法ですすめました。

表−2 労働力の構成 (平成11年7月現在)

 牛個体の能力について、このころより関心を持ち、乳の計量と同時に餌の量、給与の方法について試行錯誤ではありますが研究をしました。酪農経営も企業経営と同じような考え方を持ち、経営簿をつけ経営改善に努めました。


牛に教えられたこと

1.牛の能力は経営者が引き出すもの

 最近の乳牛は改良が進み、高能力牛が多くなっています。かつて経営をはじめた当時は4000〜5000kg程度の能力の牛がたくさんいましたが、現在ではほとんどみられません。もしもこの程度の乳牛が今いたとすればそれは経営者、飼育者の怠慢だと言っても過言ではありません。

 13年前より牛群能力検定を開始し、その結果を飼料給与に生かすよう努めてきました。検定組合に入っているが、その結果がじゅうぶん生かされていないのが実状のようでした。中島さんはその結果をすぐに飼料給与に生かし、その結果として、ここ数年間で個体乳量は急速に伸びてきました。

表−3 経営の推移

年 次 作目構成 頭 数 経営および活動の推移
昭和48年 酪農 15頭  父のあとを引継ぎ経営開始。
 酪農専業経営の目標を設定し酪農家、関係機関をまわり酪農の知識を学ぶ。
49年 酪農 27頭  総合施設資金を借入れ自宅より800m離れた場所に、50頭飼育可能な牛舎を建設。
 この地域の酪農は自給粗飼料生産型の経営であったが、粗飼料生産基盤が少なく、また労働力も不足であることから、思い切って全量購入飼料の酪農を選択した。
 当時一部地域で開始されていた「ハイフードシステム」を取入れた。
55年 酪農 50頭  目標頭数に達成。
平成07年 酪農 41頭  牛舎用地が工場用地に当り、自宅より約1km離れた場所に現在の牛舎(スタンチョン70頭収容)を建設。
9〜10年 酪農    碓氷安中酪農ヘルパー利用組合長。
11年 酪農 65頭  ほぼ目標頭数に達成。
 生乳販売量61万8000kg
 生乳販売金額5300万円

2.稼ぎ具合に基づく飼料給与

 乳量が日量50kgと20kgの牛に同じ飼料給与量では言うまでもなく、高生産牛は能力をじゅうぶん発揮できず、また低能力牛は過肥になり、繁殖障害等の問題が発生します。そこで飼料計算が登場し牛に適した飼料給与量を決めてきました。しかし、難しい飼料計算は酪農の現場ではなじみません。当牧場の飼料給与は、乾草以外はすべて混合した飼料を給与しています。この飼料を牛の働き具合により増減しています。会社の給料と同じように基本給と能率給に分けています。基本給に当る給与量は2kg、乳量が1kg増加すると給与量は0.5kg増やすという単純な方法で飼料の量を決定しています。

 当牧場の飼料給与量例は次のとおりです。

 (乳量40kgの牛の場合の給与量)

 濃厚飼料(ビートパルプを含む)20〜22kg

 粗飼料(乾草)8kg

3.手間をかけない飼料給与

 かつては多くの濃厚飼料を車に積んで、飼槽の前を何回も往復し、多くの時間を飼料給与にかけました。産乳量に応じ多くの飼料をサプリメントとして給与したからです。しかし、多くの時間をかけた割にはその効果は少ないと感じました。省力化し、そこで浮いた時間を牛の観察に向けることが牛の能力向上、経営改善になると考え自動給餌機を導入しました。

 65頭の乳牛をスタンチョンで飼育し、ゆとりある経営にできたのも自動給餌機によるものと思い感謝しています。

4.牛は多回飼料給与を望んでいる

 食べたい飼料が目の前にあり、いつでも食べられるのが望ましいと思います。人力で給与していた時代の濃厚飼料の給与回数は1日2回でした。したがって、夜には長い間牛が食べたくとも食べられない時間となっていたわけです。自動給餌機を導入したことにより、8回給餌になり給与間隔は大幅に短縮しました。

 適正な給与回数はわかりませんが、多回給餌することにより、牛の採食量が多くなりそれが牛乳生産に結びつくと思います。また回数を多くすることにより飼料の無駄を省くことができます。

 自動給餌機は300万円余りの機械です。多く使うことにより生産があがれば早く償却できます。

5.干し草は自由採食

 乾草の給与量は原則として自由にしています。飼槽の上に「草架」をもうけ1日の推定所要量を投入し自由に採食できるようにしています。良質な粗飼料の給与により乳質も安定しています。

6.牛の目線で舎内環境改善

 牛も私たちも同じ生きものです。人間も住みたくなる舎内環境作りにつとめています。特に夏の舎内環境作りは今後大きな課題です。扇風機の設置の工夫等環境改善の課題は山積しています。群馬県は別荘地や避暑地がありますので、比較的涼しいところと思われますが、安中市は内陸であるため夏の暑さは厳しく、連日30℃を超える日が続き、乳量も急速に低下します。

 ここ数年来、舎内送風について関係者の指導のもとに扇風機の位置、方向、扇風機台数について検討したところ、今までやった方法に大きな過ちが分かりました。扇風機による風の到達距離、風の死角等が自分なりに理解でき扇風機台数も0.4kwのものを8台増加し、設置場所は牛床より2〜3m上に、吹き下ろす角度もそれぞれ若干ずらすことにより、多くの牛に風が当ることが分かりました。設置方法は図−1のとおりです。

図−1 送風機(扇風機)の設置状況 (平面図)

図-1

 その結果夏でも採食がよく、乳量の低下は少なくなると同時に繁殖による事故も大幅に減少しました。

 舎内環境は、暑さ、臭気、湿度、温度等いろいろなものがあると思います。適正な風の流れは、これら多くの舎内環境を改善することができると思います。今後、季節による環境の変化等について調べ、自分の畜舎にあった空調、環境改善を図りたいと考えています。

7.牛は経営者の期待に応えてくれるもの

 ここ何年、乳牛能力向上のため前述のような考え方で牛と向き合い努力してきました。その結果次のような成果がみられました。

表−4 中島牧場の経営成果の推移

表4

(1)搾乳牛1頭当り成績の変化

 平成7年には搾乳牛1頭1日の乳量は26.5kgでしたが、平成11年には31.4kgになり18%も伸びました。このことは年8000kgだった牛が9500kg余の乳量を出したことになり、経営者が牛に願いを込めて飼育管理にあたれば、誰でも1万kg搾乳する乳牛の飼育は夢ではないものと考えられます(図−2)。

図−2 一頭当り搾乳量の変化(日量)

図-2

(2)産次数の変化

 平成7年は経産牛の平均産次は1.87産でしたが、11年には2.85産になりました。廃牛価格が安いため牛を廃用とせず目一杯飼育したのではないかと思われるでしょうが、実状は事故が少なくなってきたため、廃牛になる牛の発生が少なくなってきたためです。無理に産次をのばすと乳量は減少し乳質は悪化しますが、中島牧場の乳量は順調に伸び、乳質も良いことをみれば高能力の牛が経営のなかで長く働いていることが伺えます(図−3)。

図−3 平均産次の変化
 
図−4 種付け回数の変化
 

(3)分娩間隔と種付け回数の変化

 いかに分娩間隔を短くするかが酪農経営にとってたいせつなことです。1年1産分娩ができれば望ましいことですが、8000〜1万kgと高乳量を生産している場合、なかなか順調な繁殖は困難です。牛の能力に応じて飼料給与するようになったことと、観察時間を増やすことにより細やかな管理ができたことで分娩間隔は短縮されました。平成7年の分娩間隔は441日でしたが、11年には406日になり、1カ月余り短縮ができました。したがって、種付け回数も3回から2.6回に改善されました。しかし、この程度では満足する数値ではなく、もっと改善しなければならないと中島さんは考えています。


始めて良かった、夫婦2人で余裕の酪農
 現在の飼育頭数は60数頭、平均乳量9500kg、あたふたすることなく余裕で経営をしている様子がみられます。これは自分の経営方針・計画をしっかり遂行している結果と考えられます。しかもかつて他の産業で働き、数字的にものごとを判断する力があるからだと思われます。


今後の経営を考える

 中島さんの年齢は48歳です。これから少なくても15年は酪農を続けたいと考えています。今畜産の前進を躊躇させているものは、生産物価格と生産環境問題です。生産物価格は横這いあるいは低下傾向にあり、一層の経営の合理化が要求されます。また、環境問題は将来の経営存続に関わる身近な問題として経営者の大きな関心事です。この厳しいなかで経営を維持発展させるため次のことを中島さんは考えています。

(1)効率の良い酪農経営の追求

 牛の能力も有限ですが、どこまで追求できるか考えています。個体の能力を追求することにより、乳量は多くなったが牛は傷み、経営内容は向上しないと言うことでは、何のための効率追求か分かりません。今後は個体そのものより、効率の良い経営について追求を考えています。

牛舎内に設置している扇風機

(2)無駄を無くす飼料給与

 けちと思われますが、効率の良い経営の一環として無駄な飼料給与をなくします。飼料は牛舎や飼槽に給与するのではなく、牛の腹のなかに入れてやることです。そのために今、牛がなにを望んでいるかを見分ける眼力を養い、必要なものを必要な時期に与え、飼料の無駄を省きます。給与量と給与回数を検討することが、無駄を省く飼料給与の原点だと考えています。また、粗飼料は高品質のものを与えることが無駄を無くす一つの方法だと考えています。

(3)一層の省力化への努力

 1年365日、牛は乳を生産し酪農家を豊か(経営のやり方によっては苦しみになる場合もあります)にしてくれます。したがって、人間も牛の手助けを365日行っているのが現状です。今、若い人の就職志向は、給料は少なくても時間の余裕が欲しいという希望が多いと聞きます。大きな製造工場では、働く人の影は極端に少なく、機械がものを作りそれが24時間休むことなく働いています。

 酪農家は、生活の手段として酪農を営んでいます。生産も順調にあがり、経営が円滑になれば主体者である経営者の生活に視点を当てなければなりません。多くの酪農機械、施設はその目的に沿って改良開発されてきています。機械など使う側がいろいろな要求をあげれば、今の科学技術力で到達は可能なものが多いと思われます。

 牛の顔を見ないで乳だけ自分のものにするわけにはいきません。牛の顔や姿はよく観察するが、作業は機械にやらせるような酪農経営を目指しています。

飼槽の上の方に設置している乾草かけ

(4)ふん尿処理施設の設置

 今までは、生ふんで耕地にたい積し、たい肥化を図っていましたが、今の飼育規模では不可能なので平成12年中に約2000万円の予算で、この処理施設を作る計画です。厳しい酪農経営のなかから、大型施設への投資となるので、苦しいですが産業廃棄物処理費と考え、成牛1頭当り3万円かけるつもりで投資し、地域社会と調和のとれた酪農経営を目標に考えています。

(5)地域の仲間・指導機関との連携

 当牧場が急速に成果をあげたのは、本人の努力が大きいこと、地域の仲間、指導機関との連携の成果だと思います。今後とも、より一層強化され、ゆくゆくは地域酪農家のモデルとなる中核酪農家になると思われます。

 地域社会、地域農業の酪農家として健全な発展を期待しています。

(報告者:(社)群馬県畜産協会・相談員)