T・から始める酪農 ~原発事故によって、浜通りから中通りに経営移転~
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東京電力福島第1原発3号機が爆発した日、状況は一変し、みえない放射能を乗せた悪魔の風は、30kmも離れた私たちの大切な自然、そして生活もすべて奪ってしまいました。家族は避難させましたが、牛はどうする、酪農飼料も来ない、蓄えた牧草も底をつくといった状況で、集落に残ったのは数人の酪農家だけになりました。
浪江町津島地区は、原発事故によって平成23年4月22日には国から計画的避難区域となり、おおむね1ヵ月間、避難を余儀なくされました。私たち人間は避難できても、今までの酪農を築き上げてきた牛たちはどうするか。売るか、処分するか、あるいは避難区域外へ移動させるか。牛の避難をさせようにも、牛舎が必要になります。牛の移動については何の指示もなく、二転三転し、地域の多くの仲間も休業という悔しい決断をしなければなりませんでした。