近年、畜産経営の規模拡大や周辺の都市化が進展するなかで、家畜ふん尿に起因する窒素やリン等の環境負荷物質による河川・湖沼等の水質汚染やアンモニア等の悪臭物質による環境汚染が深刻化している。また、新しい農業基本法では環境保全型農業、資源循環型農業を推進し、環境三法で家畜ふん尿の適正な管理と資源の有効利用が義務付けられているが、わが国で年間に発生する家畜排泄物量は8,000万〜9,000万t、これに含まれる窒素の量は約68万t、リンは約45万t(リン酸換算)と試算され、この量はすでに農地への還元能力の限界に達しており、畜産と耕種農業の偏在により地域によっては適正水準の3〜4倍にもなっているとの推定もある。このような状況のもとで、今後畜産が持続的に発展するためには、家畜排泄物の処理、利用技術の向上に加え、これら環境負荷物質の排泄量を低減させるための研究、技術開発が必須といえる。
これら環境負荷物質の排泄量を低減させようとする場合、基本的には、家畜が生命を維持し、畜産物を生産するために必要な量(養分要求量)以上に栄養素を与えないことである。しかし、家畜の飼料の主体となっているトウモロコシや大豆粕などの植物性飼料原料に含まれるリンは、有機のリン化合物(フィチン)の形で存在していて、鶏や豚などの単位動物ではこれを加水分解して無機のリンに遊離する酵素(フィターゼ)の活性が弱いため、その利用性(消化率)はきわめて低く、鶏では10%程度、豚で20〜30%とされている。このため、一般の配合飼料ではリン酸カルシウムなどの利用率が高い無機リンが添加されており、飼料中のフィチンのほとんどが消化されないまま排泄される。したがって、消化されないまま排泄されるフィチンリンの利用性をどのように改善するか、換言すれば、飼料中のフィチンを分解して鶏や豚が利用可能な無機リン(利用率はほぼ100%)に変換する技術の開発が家畜排泄物中のリン低減を可能にするための必須の要件となる。
フィターゼ開発グループ(協和発酵工業株式会社)は、飼料用フィターゼの工業的な大量製造法の開発および飼料添加物としての指定作業に取り組み、わが国で初めて、世界でも2番目にその商品化に成功した。基礎研究グループ(農林水産省畜産試験場)は、鶏および豚におけるフィターゼ利用の基礎的研究に取り組み、フィターゼの最適添加水準の解明、飼料への添加によるリン排泄量低減効果と飼養成績への影響の解明および効果的利用法などについて明らかにした。実用化グループ(社団法人日本科学飼料協会)では、これらの成果を実用的な配合飼料に応用した場合の効果や問題点の解明を行い、窒素とリン排泄量を同時に低減することが可能な実用的飼料を開発した。その概要は以下のとおりである。
1) |
飼料用フィターゼの開発 |
|
フィターゼは、麦類などの植物や微生物、カビ類(特に麹菌類)、下等脊椎動物などに分布することが知られており、欧州では遺伝子組換え技術によりフィターゼ産生能を高めた生産菌による製品開発が進められている。しかし、協和発酵工業株式会社のグループは、わが国の消費者の安全性志向や飼料・畜産業界の意向を踏まえ、遺伝子組換え技術に頼らない製造方法の開発を進めた。すなわち、黒麹菌(Aspergillusniger)から常法の育種改良によりフィターゼ高生産株を選抜した。この菌の最適培養条件やフィターゼ抽出方法等について工業化の検討を行った。最終的に、滅菌した小麦フスマにフィターゼ生産菌を接種して培養し、酵素を抽出して得た粗酵素液を濃縮・無菌ろ過した後、エタノール沈澱処理し、この沈殿物を真空乾燥することで、高濃度のフィターゼが大量生産可能な技術を確立した。
この製法により生産されたフィタ−ゼについて飼料添加物の評価基準に基づき安全性および安定性等の確認を行うとともに、配合飼料に添加して鶏および豚に給与したところ、リンの利用性が改善され、リン排泄量が顕著に減少することが認められたことから、飼料添加物としての指定を申請し、平成8年に飼料添加物としての指定を受けて商品化した。 |
2) |
フィターゼ利用の基礎的研究 |
|
(1) |
家禽における基礎的研究 武政らは、トウモロコシ、大豆粕を主体とした非フィチンリンの不足する飼料にフィターゼを添加することにより、従来の家禽の生産性を維持しつつ、リン排泄量を大幅に低減できることを明らかにした。すなわち、非フィチンリンが0.1%不足する飼料にフィターゼを850単位/飼料kg添加して鶏ヒナに給与することにより、発育成績、リン蓄積率および骨の無機成分含量を低下させることなく、かつリン排泄量を30〜40%低減できることを明らかにした。また、添加したフィターゼの鶏ヒナ消化管内における活性は、そ嚢においては確認されたが、それ以降の消化管、すなわち筋胃、十二指腸および空回腸のいずれの部位においてもほとんど認められなかったことから、添加したフィターゼの作用の中心部位はそ嚢であると特定した。さらに、糸状菌由来および酵母由来のフィターゼ(pH特性の異なるフィターゼ)について、家禽に対する生物学的有効性を比較し、由来の異なるフィターゼでも、pH5.5における活性値で添加単位を同一水準に調整すれば、家禽に対してほぼ同じ効果が得られることを明らかにした。
さらに、in vivoの実験の結果から、同一水準のフィターゼを添加しても飼料原料の種類によってその効果は異なること、すなわち、大豆粕、綿実粕などでは効果(遊離される無機リンの量)が高く、アマニ粕、コーングルテンフィードなどでは低いことを示した。 |
(2) |
豚における基礎的研究 斎藤らは、トウモロコシ、マイロおよび大豆粕を主体として無機リンを添加しない飼料にフィターゼを添加して肥育豚に給与し、リンの消化率と蓄積量が改善され、増体量や骨の成分には悪影響を及ぼさないこと、リンの排泄量が約30%低減できることを明らかにした。また、肥育豚用飼料におけるフィターゼの最適添加水準は発育やリン排泄量等への影響から総合的に判断して、1,000単位/飼料kg前後にあるものと推定した。 さらに、フィターゼの効果的な利用方法について研究し、[1]フィターゼ添加飼料中のカルシウム含量を要求量付近に設定すれば、フィターゼの効果が大きく損なわれることはないこと、[2]フィターゼ添加飼料を豚に給与する前に、2時間程度加水処理してから与えると、フィターゼの効果が約20%向上すること、[3]フィターゼ添加飼料にクエン酸を添加することにより、フィターゼの効果が約10%向上することを明らかにした。 |
|
3) |
フィターゼの実用化試験 |
|
養豚・養鶏農家で使用されている飼料は多種多様な飼料原料が混合されており、栄養分も家畜の資質や飼養環境の変化にも十分対応できるよう家畜・家禽の要求量を多少上回るように調製されていることが一般的である。社団法人科学飼料協会のグループは、このような実用的飼料でのフィターゼの効率的な利用方法について現場に近い大規模試験で、と体品質への影響を含めた実用化の検討を行った。 |
|
ブロイラーでは、フィターゼ500単位/飼料kgの添加で無機リン0.13%(第二リン酸カルシウムとして0.78%(に相当する効果があり、非フィチンリン含量が0.3%(要求量は0.45%)程度でも全リンで要求量を充足していれば、無機リンを添加する必要がないこと、これによってリンの排泄量が約30%減少するほか、窒素の利用性や代謝エネルギー価が高まり、発育成績にも好影響することなどを明らかにした。また、フィターゼ500単位/飼料kgの添加で飼料中の銅および亜鉛の排泄量が7%減少すること、トウモロコシ、マイロ、大豆粕、脱脂米ヌカ、フスマなどの植物性飼料原料に含まれるリンはブロイラーにおける利用性(蓄積率)が約5〜74%と大きく異なるが、フィターゼの添加により約70%〜85%に改善され、個々の飼料におけるリン利用率の相違を無視しても実用的飼料ではほとんど問題がないことなどを明らかにした。 |
図2 フィターゼの発育に及ぼす効果(ブロイラー) |
|
|
肥育豚では、フィターゼ500単位/飼料kgの添加により、粗蛋白質および粗繊維消化率や可消化エネルギーが有意に改善され、リン、亜鉛およびマグネシウムの排泄率が有意に減少し、実用的飼料のほとんどに添加されている無機のリンを添加する必要がないことを明らかにした。
以上の知見をもとに、鶏および豚における窒素とリンの排泄量を同時に低減可能な実用飼料の開発を行った。窒素排泄量の低減については、飼料中の粗蛋白質含量を低減し、不足するアミノ酸を単体アミノ酸の添加で充足することで可能なことが知られていたが、この場合、ブロイラーの腹腔内脂肪の増加や肥育豚の皮下脂肪が厚くなり、経済性が劣ることから実用には至らなかった。そこで、フィターゼのリンおよび粗蛋白質などの利用性改善効果に加え、溶無窒素物および粗繊維の分解酵素を活用することで低蛋白質飼料中の可消化粗蛋白質とエネルギーのバランスを整えることにより、皮下脂肪の蓄積をおさえ、同時に窒素とリンの排泄量を低減させることを考えた。 |
図3 フィターゼの消化率改善効果(豚) |
|
|
ブロイラーでは、これまでに約4,000羽を用いて試験し、飼料中の粗蛋白質含量を前期19%、後期16%まで低減し(代謝エネルギー3.1および3.2Mcal/kg)、不足するアミノ酸を各単体アミノ酸飼料添加物で要求量の110%程度まで充足させ、フィターゼ500単位/飼料kgとセルラーゼなどの消化酵素を同時に添加することにより、市販飼料相当の対照飼料(粗蛋白質23および19%、代謝エネルギー同等)以上の発育と飼料効率が得られ、腹腔内脂肪率にも差が見られないこと、これによって窒素排泄量が肥育前期で約35%、肥育後期で約30%、リン排泄量が肥育前期で約35%、肥育後期で約21%減少し、フィターゼの添加量を増加するとこれらの排泄量が更に減少する傾向が確認されており、現在、ブロイラー約1,200羽を用いて季節的要因の影響など最終的な確認を行っている。 |
|
図4 リン排泄量(g/飼料 kg) |
図5 窒素排泄量(g/飼料 kg) |
|
|
豚では、排泄物量が最も多い肥育期の豚約300頭を用いて試験し、飼料中の粗蛋白質含量を11%とし、不足するリジンを飼料添加物の塩酸L-リジンで要求量の110%程度まで充足させ、さらに非フィチン含量を要求量の70%(0.14%)程度とした飼料(可消化エネルギー3.3Mcal/kg)にフィターゼ500単位/飼料kgとセルラーゼなどの消化酵素を添加することにより、市販飼料相当の対照飼料(租蛋白質15%、可消化エネルギー3.4Mcal/kg)と同等以上の発育と飼料効率が得られ、背脂肪の厚さやその他の枝肉成績にも差が見られないこと、これによって窒素排泄量が約30%、リン排泄量が約35%減少することを確認した。なお、本試験に用いた粗蛋白質15%飼料の原料費は36,000円/t、粗蛋白質11%飼料は33,700円/t程度と試算された。酵素製剤の価格はユーザーの購入量や流通経費によって変動が大きく正確な試算は困難であるが、添加した酵素の費用は900〜1,200円/t程度と推定される。したがって、本研究により開発された低粗蛋白質・低リン飼料は飼料価格の面からも十分に実用可能である。 |