酪農家の活力を生み出して発展する産地

−酪農王国を支えるみどり牛乳農業協同組合−



愛知県半田市みどり牛乳農業協同組合(代表伊藤敏之)

1 指導支援活動の概要

 みどり牛乳農業協同組合(以下「みどり牛乳」)は昭和32年4月に知多牛乳生産農業協同組合としてスタートし、昭和56年1月に時代にマッチした名称へと変更したもので1市5町(半田市、東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町)の組合員(162名)により構成されている。「酪農業が地域の産業として持続的に発展すること」を命題として、当地域における戦前・戦後の幾多の歴史的な変遷の中から生まれた伝統を引き継ぎながら、今日まで役職員はもとより組合員の創意工夫を結集し、若者の活力を活かしてその時々に必要な数多くの課題を克服してきた。
 みどり牛乳の活力は先進的組合員仲間が増えることを良しとして、新しい酪農家を比較的容易に受け入れ組合員の増加を図ったこと、及び生乳処理施設を持った組合としての有利性を活かし、牛乳販売からの利益を組合員に還元することによって、他の地域よりも「儲かる」ことを実証したことである。それゆえ、特に新しい酪農家は選択的な拡大の中で酪農を選び、飼養頭数の増頭競争が始まった。
 その時、みどり牛乳は資金助成制度を設け、組合員の意欲を刺激し組合の活力を醸成した結果、その後の生乳の需要量増大を背景にした規模拡大に、新しい技術(バケットミルカー、パイプライン、バンクリーナー)への取り組みがスムーズに行われ、他の地域に先んじて専業酪農家への道を歩むことができた。その間、みどり牛乳は先行集団とそれに続く農家への情報提供等を行い、協調関係の持続を図った。
 みどり牛乳の支援指導の特徴はその取り組み方にあり、先進的な問題解決にはみどり牛乳が事業主体として表に出るのではなく、その問題解決に意欲を持って賛同した組合員に任意の組合を結成させ、そこで選出された役員を中心として事業を推進したことである。
 集まった集団は、独立採算を基本とした自主運営であり年齢構成も若く、何としても解決したいという情熱は強烈で、相談を受けた関係機関としてもその熱意に打たれ、関係者が一体となった取り組みへとつながり、苦難を一つ一つ乗り越えて事業化していった。
 自分達のことは自分達の努力によって解決出来るという自信と課題を成し遂げた充実感は、関係した者全体の喜びであり、特に役員にとっては自分のことだけではなく組合として取り纏めて行く難しさと、他人のために働くという実体を会得する機会となり、みどり牛乳役員養成の場となった。
 この方式は、一般の農協に見受けられる「困ったことは農協に依存する」という甘えの構造ではなく、積極的に自分達で解決する姿勢がいくつかの任意組合の設立へと発展した。
 また、「産業として(酪農業を選択したことは)、新鮮・安全・良質な動物性食品を安定的に供給する責務がある」を絶えず念頭において事業が推進され、責務の遂行によって社会に貢献している。
 その結果、みどり牛乳はその時々に酪農家が直面する課題の解決に絶えず先進的に取り組み、その成果を組合員全体に普及させることにより、組合員の資質と経営水準を飛躍的に向上させた。
 また、戸数に占める40歳以下の割合は62.6%と高く、乳牛飼養頭数は平均85.4頭と北海道に次いで大規模な経営が行われている。また、66.5%の組合員で乳肉複合経営も行われ平均126.8頭の肉用牛が飼養されている。
 みどり牛乳の支援指導は「競争と協調」「分業化と協業」「社会への貢献」がキーワードとなっており、その成果を以下に列挙する。

1) 生乳の有利販売……ブランド化への推進
   安全・安心・新鮮な乳製品を学校給食を始め、県内消費者に提供し高い評価を得るとともに、消費者との結びつきにも大いに貢献している。
 
2) 新春酪農放談会……自由な意見・発言の場、解決策の検討の場
   酪農家の問題提起の場として新春酪農放談会を開催し、組合員からの要望が早期に事業化がされた。
 
3) 共同飼料配合所……給与飼料の平準化とコスト低減
   安全・安心・新鮮な乳製品を学校給食を始め、県内消費者に提供し高い評価を得るとともに、消費者との結びつきにも大いに貢献している。
 
4) ヘルパー利用組合……ゆとりの創出
   国庫補助事業に先駆け、昭和52年半田市酪農ヘルパー利用組合を設立し、引き続いて2組合、現在4ヘルパー組合が稼働している。
 
5) 乳肉複合経営……所得の拡大
   行政の指導方針をいち早く取り入れ乳肉複合経営に取り組み、肉牛部会の設立、ブランド化により所得の増大を図ったこと、並びにみどり牛乳の出資金取り扱い方式が親子の分業につながり世代交代を推進した。
 
6) 生乳生産枠の流動化……後継者の育成強化
   みどり牛乳独自で生乳生産枠の流動化事業に取り組んだことが意識を再喚起させ、後継者確保・育成に大きな役割を果たした。この制度は後に国でも事業化され、みどり牛乳の時代の先見性を示すものである。
 
7) たい肥化処理システムの整備……環境に優しい酪農
   昭和61年半田市グリーンベース生産組合を皮切りに、順次管内に6組合を設立し、域外流通を含め活発な活動が行われている。

2 指導支援活動の内容



1) 指導支援活動の対象
   組合員は知多地域の半田市、東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町の1市5町で構成し、組合員数162名で、酪農家は119戸、搾乳牛の飼養頭数は10,164頭、1戸当たり飼養頭数は85.4頭と全国的に見ても有数の大規模な経営が行われている。肉用牛の飼養農家は4戸、乳肉複合経営78戸で、1戸当たり頭数は126.8頭となっている。
 みどり牛乳のある知多半島は、名古屋市の南部から南に突き出した半島で伊勢湾と三河湾に囲まれており、東西4〜14km、南北45km、面積383km2である。平均気温は15〜16℃と温暖で年間降水量は約1,500oである。知多地域は、5市5町からなり人口は約57万人、北中部には名古屋南部及び衣浦西部の臨海工業地帯があり、鉄鋼業をはじめ関連企業が進出している。また、伊勢湾側には名古屋港、三河湾側には衣浦港があり、貿易の要所になっている。従前から、窯業・繊維・醸造業等が盛んであるとともに畜産においても日本で生産される配合飼料の約1割が生産されている。
 南部は農業、漁業及び自然景観を利用した観光地域となっている。西部には中部新国際空港の建設が計画され、今後の開発が見込まれる地域でもある。
 知多地域農業の県全体に占める割合は、農家数で約9%、耕地面積で約12%、農業粗生産額で約11%で、フキ・ミカン・タマネギ・洋ランの産地となっている。
 畜産においては乳用牛、肉用牛、豚、鶏が飼養され、中でも乳用牛は全国でも有数の産地となっている。
 農業粗生産額のうち畜産の占める割合は約40.2%、みどり牛乳傘下で見ると53.8%で畜産は当地域農業の主力である。

表1 知多地域の畜産粗生産額
                   (第46次農林統計)
区分 農業粗生産額 畜産粗生産額 乳用牛 肉用牛 その他
愛知県 百万円
363,663
百万円
80,810
(22.2%)
百万円
23,455
百万円
8,648
百万円
48,707
知多地域 40,371 16,242
(40.2%)
7,118 2,533 6,591
みどり牛乳管内 22,087 11,884
(53.8%)
5,461 2,180 4,243

表2 知多地域の乳用牛・肉用牛の飼養状況
                   (第46次農林統計)
区分 乳用牛 肉用牛
飼養戸数 飼養頭数 飼養戸数 飼養頭数 乳用種
 
愛知県 730 45,600 660 59,900 48,300
知多地域 209 14,840 107 14,240 11,573
みどり牛乳管内 134 11,410 94 13,020 11,160

表3 みどり牛乳傘下の地域別飼養状況
                   (みどり牛乳酪農一斉調査)
区分 乳用牛 肉用牛
戸数 経産牛 未経産・育成牛 合計 1頭当たり
年間乳量
戸数 頭数
  kg
半田市 50 4,405 471 4,876 7,490 38 6,540
阿久比町 15 1,001 392 1,393 6,796 6 320
東浦町 15 702 185 887 6,944 11 1,110
武豊町 12 653 111 764 7,129 12 1,070
美浜町 18 953 357 1,310 6,794 6 600
南知多町 9 742 192 934 7,387 9 760
合計 119 8,456 1,708 10,164 7,246 82 10,400


図1 みどり牛乳農業協同組合組合員数と経産牛飼養頭数の推移(平成11年8月1日現在)
 
2) 活動開始の目的と背景
   この地域に乳牛が導入されたのは明治17年で、半田市を中心に搾乳兼処理販売の経営形態で確立されていった。
 昭和12年、牛乳営業取締法の改正によって牛乳処理施設の拡充・整備が急務となった。そこで牛乳の共同処理を目的に知多東部管内の牧場経営者29戸が知多郡牛乳小売商業組合を設立したのが、現在のみどり牛乳の前身である。
 このように歴史ある産地において、支援活動の目的は何だったのか。
 それは、如何にして「儲かる酪農、ゆとりある酪農を実現する。」かであり、それに対する酪農家の強い思いとみどり牛乳をはじめとする酪農に関する全ての人たちが「日本一の酪農産地を目指そう!」としたからである。当然現在も、組合員全員が思っていることであり、地域に調和した21世紀の酪農の確立に向かって取り組んでいる。
 みどり牛乳の支援活動の背景は皆が自由に意見を出し合える機会を作った「新春酪農放談会」であり、ここで出された新しいアイデアが事業化されていった。
 また、放談会に限らず常に酪農家同士で話し合う機会を持ち、酪農のより良い方向について議論した結果が、従来の農協事業とは異なるみどり牛乳独自の事業となり、その中で、個々の経営メリットと共同によるメリットを上手く舵とりして分業と協同、競争と強調を引き出していく積み上げ方式による支援活動を確立したことである。
 
3) 活動の位置づけ
   各時代ごとに、酪農経営にとってマイナス要因となる問題があり、それを克服することが大きな課題であった。そのために、みどり牛乳では各市町酪農組合レベル、更に酪農家個々のレベルの発想や知恵・創意工夫を大きな組織にうまく取り込み、産地としての方向性を定めていくことで、全体のレベル向上が図られた。
 新春酪農放談会や各市町の酪農組合活動に対する支援によって、個人では対応できない事項でも共同組織によって解決していくシステムが確立された。その結果、生乳計画生産後みどり牛乳の酪農家戸数の減少率が35%以下(全国では72%の減少率)、経産牛頭数は122%、生乳生産量は170%(いずれも平成10年)と全国でもトップクラスの酪農産地として発展し続けている。
 最も大きな成功要因は酪農を取り巻く課題をクリアしていくことで、後継者が酪農に対し魅力を持ち、意欲ある事業継承者となったことである。そして、後継者の事業継承によってさらなる規模拡大が図られたことで、酪農大産地としてまた地場産業として地域に貢献する源泉となっている。
 
4) 活動の実施体制
   みどり牛乳と関係する組織について、図2、3、表4にその内容を示した。みどり牛乳管内の市町ごとに単位酪農組合が組織されており、行政機関と連携を取りつつ活発に活動している。特に、半田市酪農組合では、共同飼料配合所・ヘルパー制度・ふん尿処理施設の共同整備等の事業を他酪農組合に先だって取り組み、みどり牛乳内でも先導的な役割を担っている。

図2 みどり牛乳農業協同組合組織図



図3 みどり牛乳農業協同組合関係の組織体系図



表4 みどり牛乳農協の指導・支援内容


 
5) 具体的な活動の内容と成果
   みどり牛乳の支援の活動のポイントは、図3に示すように6つの地域別単位農協組合の活動を円滑に推進するため、表4のとおり直接指導と間接指導を有機的に組み合わせ、先導的な取り組みや技術は全て開示して、みどり牛乳全体のボトムアップを図ることである。
(1) 生乳の有利販売と地域特産品の生産
   「一元集荷多元販売が酪農業の進展につながる」を信条に、周辺酪農組合を合併し取扱量を拡大して、より有利に生乳を販売することで、酪農経営の基盤を支えた。
 また、知多半島の安全・安心・新鮮な乳製品として、学校給食を始め、県内消費者に提供することにより高い評価を得るとともに、消費者との結びつきにも大いに貢献している。
(2) 新春酪農放談会による組合員ニーズの事業化
   組合員の飼養規模が大きくなるにつれて、組合員が何を必要としているかを正確に把握し解決しないと酪農経営を発展させることが困難であった。そのため、みんなが知恵を出し合い、経営の一部を分業化して経営負担の軽減を図ることを事業化する支援体制の整備が必要とされてきた。
 昭和49年1月に半田市酪農組合において始まった「新春酪農放談会」(昭和53年からみどり牛乳が主催)は、酪農家の考えや意見を事業化する画期的な会である。
 若い人たちが発言しやすい雰囲気をつくり、組合員全員が参加して酪農について語り合う中から先進的なアイデアが生み出され、地域酪農の根底を支える飼料共同配合所やヘルパー事業のきっかけとなった。
 みどり牛乳は、その問題解決に意欲を持って賛同した組合員に任意の組合を結成させ、地域酪農組合の意見を事業化した。また、酪農経営にプラスなことは他地域へも速く普及させるよう働きかけ、みどり牛乳全体のレベルアップに貢献した。
 近年では、時代の流れにあった講師による講演を企画して、酪農家に対して刺激を与え活性化を図る取り組みとして好評を博している。
(3) 共同配合飼料所
   昭和49年の半田市酪農組合の新春酪農放談会での、「人に給食センターがあるのなら、牛にあってもいいのではないか?」によって共同飼料配合所への取り組みが始まった。当時、規模拡大によって乳牛50頭以上の飼養農家で家族労働力の不足が生じていたこと、そのうち飼料調製に要する作業時間が2時間以上を要していることが問題であった。
 このため、半田市酪農組合組合員の努力と関係機関の支援によって共同飼料配合所が昭和51年に完成した。このことにより、飼料の大量購入、大量消費による飼料費の節約及び飼料の品質向上が図られ、飼養技術の平準化による乳量及び乳質の向上、当然、飼料配合に要する作業時間もこの分業制の確立で大幅に短縮することができた。
 現在の配合所は、平成8、9年度の生産システム実証展示施設整備事業によってコンピュータ制御の全自動システムとなり、1日当たり生産量80t(共同配合1号)の能力を有している。飼料原料に地域内から発生する食品製造粕や免税丸粒トウモロコシを利用して、単価20円/sを切る低コスト飼料を実現し酪農経営の基盤を支えている。
 その後、みどり牛乳、関係機関の指導のもとに東知多飼料共同配合組合、知多南部共同配合飼料組合を設立した。


表5 みどり牛乳農業協同組合傘下の共同配合所の概要
 
(4) ヘルパー利用組合
   昭和51年の半田市酪農組合の新春酪農放談会での意見がヘルパー組合設立のきっかけとなった。それはある酪農家婦人の提案で、「多頭飼育での酪農従事は終身刑と同じ。何とか休日をつくって欲しい。」である。
 半田市酪農組合、みどり牛乳、普及所での検討の結果、「生産重点主義から生活重点主義への転換を考えるべき。時間を金で買う考えを持たなければならない。」との結論から専任ヘルパーを雇用し、二人一組のヘルパーが要請に従って順次酪農家を巡回し、酪農家の「定休日」を保証しようというものであった。
 賛同した大規模酪農家21戸が参加して昭和52年5月にヘルパー利用組合がスタートした。みどり牛乳がヘルパー組合の組合事務局を受け持ち「ヘルパー事業成功への鍵はヘルパー要員の資質である。」との考えに基づき十分に配慮した結果、ヘルパー制度定着が短期間で実現できた。ヘルパー制度の定着とともに小規模酪農家の参加が見られるようになり年々増加している。
 このような経過を経て、酪農家の休日が確保され、みどり牛乳管内では昭和53年に東阿酪農ヘルパー利用組合、昭和54年に南部酪農ヘルパー利用組合、平成4年には武豊町酪農ヘルパー利用組合が相次いで設立され4地区で稼働している。ヘルパー要員の研修やヘルパー組合の運営について、みどり牛乳が全面的なサポートを実施してきた。みどり牛乳での後継者数が他の産地と比較して多い理由のひとつには、ヘルパー制度の充実がある。

表7 みどり牛乳農業協同組合ヘルパー利用組合の概要
           (平成12年4月みどり牛乳農協調べ)



表8 酪農従事者の年齢構成
                       (平成11年)
区分 20歳以下 30歳代 40歳代 50歳代 60歳代 70歳以上
 
全国 0.9 11.1 33.3 29.2 20.9 4.6
北海道 1.4 17.8 42.1 26.6 11.0 1.1
都道府県 0.6 8.5 30.0 30.2 24.7 5.9
愛知県 1.0 6.5 29.4 30.5 24.5 8.1
みどり牛乳 4.2 22.0 36.4 22.9 12.7 1.8
 
(5) 乳肉複合経営の確立に対する支援
   昭和54年からの計画生産は、行政の指導をいち早く取り入れみどり牛乳における酪農+肉牛の乳肉複合経営への取り組みを加速させる契機となった。
 従来から経産牛の廃用肥育を行っていて肉牛販売による経営の有利性は理解されていた。これを一歩前進させ、自家産子牛の一貫肥育による肉用牛生産を取り込んだ形態がみどり牛乳の乳肉複合経営である。生乳の期別生産とのかねあいから、夏分娩牛には積極的に和牛を種付けして、分娩事故の減少と夏期の乳量確保に取り組んだ。みどり牛乳は優良な和牛精液の検討や斡旋を行い、乳肉複合の定着を推進した。
 昭和61年から大阪食肉市場への委託出荷をみどり牛乳が行い、それらの肉牛は「知多牛」として出荷している。
 出荷成績の素早いフィードバックと肥育技術向上を目的に、昭和61年肉牛部会を若手生産者を中心に結成(57名)し、枝肉共励会等を通じ研究会を開催している。
 平成3年からの牛肉の輸入自由化に対応するため、平成2年にET部会(38名)を発足し、受精卵移植を活用し、乳用牛から黒毛和種の子牛生産を行っている。
 「知多牛」の地元消費・宣伝活動として、平成10年に酪農家による焼き肉レストラン「黒牛の里」をオープンした。これは半田市酪農組合青年部による「生産者の手で生産物を紹介したい。」「地元の産業として地域に貢献していきたい。」という思いを実現したものである。
(6) 生乳生産枠の流動化
   昭和54年から生乳計画生産が始まった。計画生産の問題点は優秀な後継者を失うことでありそれを避けるため、未達成組合員分の生産枠を小規模組合員(年間乳量200t未満)と就農したばかりの青年のいる組合員へ優先的に配分した。
 そして小規模な組合員への優先配分終了後、実績主義による配分に切り替えたが「多く搾れる組合員」と「搾りきれない組合員」との色分けが生じ、組合員の中に生産意欲の減退が感じられたため、昭和57年からみどり牛乳事務所内に組合員の生産実績を掲示し、組合員間の生産意欲を再度助長する措置を講じながら、生産枠を資産として考え金銭で置き換えることによって流動化することを始めた。これは30円/sで生産枠を流通させた事業である。これによって若手組合員は生産枠を購入することによって、生乳を出荷したいだけ牛乳を搾る前向きな酪農経営を再現することができた。また、昭和62年は後継者が数多く就農した年でこれら若手が意欲的に経営に取り組む枠の確保も出来たのである。
 その後、このみどり牛乳の取り組み事例が国の事業として採択されるに至ったことからも、この先見性は高く評価されるものである。
(7) 効率的なふん尿処理の実現援助
   みどり牛乳の支援メインテーマは、全国の他地域に先駆けた大規模なふん尿処理の適正化の推進である。
 特に混住化の著しい半田市酪農組合はふん尿処理に必要な施設の整備に対して、地域的・組織的に取り組んでいる。施設整備を目的とする集団を構成して、補助事業に参加している。
 昭和61、62年にみどり牛乳の指導により、農事組合法人半田市グリンベース生産組合、平成4、5年には農事組合法人半田市酪農環境整備組合によるふん尿処理施設整備には、総合農協を事務局としたい肥販売ルートを経済連等へ求め、他の農業団体との提携を結び事業を展開した。
 みどり牛乳が積極的に総合農協と提携を結ぶことで、今日的な問題であるたい肥の販売にいち早く取りかかることができた。また、これらの施設利用組合のメイン−サブ二段階方式によるふん尿たい肥化方式は全国的に広く優良事例として紹介されている。
 最近では畜産アメニティ事業によって施設整備を図っているが、これは(任)半田市酪農アメニティ組合事務局をみどり牛乳農協が受け持ったはじめてのふん尿処理施設整備関係事業である。これは、今後の酪農経営の積極的な発展を考えると、ふん尿の適正管理と利用促進が最も大きな課題となるため、酪農専門農協として対応を考えなくてはいけない時代と認識したためである。また、生産したたい肥を流通するための仕組み作りを、県関係機関・市・総合農協と検討して新たに取り組みだしている。
 また、施設整備の進展によって、臭気対策に取りかかることが必要になっている。特に、微生物資材(光合成細菌)の共同培養・全戸配布・散布促進を臭気対策として実施している。この事例は、事業着手から立ち上げまでわずか3ヵ月間で行われており、他の地域では見ることのできないスケールでの取り組みであると同時にみどり牛乳のスピーディーな支援体制を示している。
(8) 耕種農家との連携による有機質資材の提供
   耕種農家と畜産農家の先進的な連携事例として、南知多ほ場利用組合と国営農地開発事業地内の大城・御用工区の農用地利用組合との間のたい肥供給がある。国営開発農地内の農地は頁岩の非常にやせた土地で、耕種農家は野菜作付けのため良質な有機質資材を必要としていた。一方、半田市酪農組合を中心とする酪農家は、ふん尿処理施設から生産される多量のたい肥を安定的に供給できる相手を探していた。そこでこれら酪農家22戸が南知多ほ場利用組合を平成元年に組織し、大城・御用農用地利用組合との間でたい肥の供給及び飼料作物栽培、2〜3年間で野菜等の輪作をして、工区全体の農地にたい肥を施用し安価なたい肥を供給する取り決めである。
 牛ふんたい肥を投入したほ場は必ず飼料作物を作付けして、自給飼料生産に貢献している。現在では、年間約15,000tのたい肥を供給しており、耕種農家は肥料代の節約や収量が増え、酪農家は安定的なたい肥の供給ができるため双方にメリットが出ている。また、平成4年には、半田市、南知多町の酪農家を主体にした、南部牧草組合(14名)が結成された。
 南知多ほ場利用組合同様に、国営開発農地に有機質資材を還元し牧草を生産し自給粗飼料として活用している。
 
(9) その他
   酪農振興を図るため、新たに組合員になる者や規模拡大を希望する組合員に対し、みどり牛乳が、市中銀行より産業資金を借り受け組合員に転貸することを事業化した。これによって、組合員の資金調達の時間的・精神的煩雑さが軽減された。
 この事業で、組合員の規模拡大計画、資金計画等の構想を個別に検討することができ、規模拡大に伴う技術的・経営的な諸問題について組合側から助言指導が実施できた。
 また、みどり牛乳は組合脱退時の出資金取り扱い方に特徴がある。後継者が就農した場合、除々に出資金(出荷枠)を経営主から後継者に移していくが、最終的に経営主が引退するときに退職金の代わりに払い戻される仕組みである。組合員による組合であり組合員である酪農家レベルで運営されていることを示す好事例といえる。また、このことが世代交代を早める一因となっている。
 
6)活動の年次別推移


3 指導支援活動の波及効果の可能性

 みどり牛乳農協の6つの地域酪農組合のうち、特に中核の半田市酪農組合はみどり牛乳とタイアップして自主的な活動によって、組合員個々がよく話し合い、共存共栄の精神で問題解決を図ってきている。組合としての決定事項については、素早く実行して時代を先取りした事業を展開する実行力をともなっている。組合員の創意と工夫で酪農経営を協同組織によって分業化に成功したこと、乳肉複合経営による所得の増大によって都市近郊・湾岸地域での「儲かる酪農」を実現した。そして、優れた取り組みは積極的に他地域への普及に努めて、みどり牛乳管内全体の向上につなげ豊かな酪農産地を形成している。
 県内外から多くの視察者がみどり牛乳を訪れている。そして、組合員の豊かな酪農経営を目の当たりにして、みどり牛乳の「組合員の組合員による取り組みとみどり牛乳の支援活動」に大きな関心を寄せている。特に近年では、家畜排せつ物関連法律の施行によって、半田市酪農組合での共同によるふん尿処理施設整備が注目を集めている。

4 今後の活動の方向・課題等

 生産性の高い酪農経営の実現のため、販売・購買・指導事業によって側面支援が絶対必要である。
 21世紀の酪農には、生乳生産以外に環境に対する配慮、人に対する癒し効果、情操教育に対する効果等多面的な機能が要求されてくる。これらに対応できる酪農経営の実現やグリーンツーリズム、牧場景観形成に対する研究・取り組み、インターネットを活用した情報の発信が必要であり、地域の人たちと共存していく重要な手法と思われる。
[1]  環境に配慮した酪農経営の第一歩は、確実なふん尿処理とたい肥の生産供給である。処理施設の整備には多大な経費を要するため、共同による事業化が不可欠である。整備率の低い地域を中心に設置推進を行う。設置率の高い半田地域では、生産されたたい肥の利用・流通に関する事業化を考えていく。耕種農家との情報交換拠点とたい肥利用研究の場として、たい肥生産流通協議会の立ち上げ支援によって環境保全型農業への貢献とたい肥ビジネスへ取りかかる計画である。
[2]  現在、二代目が経営の主体となっている酪農家が多い。経営環境が整った中での経営移譲は、ともすれば経営に対する姿勢が甘くなったりすることがある。そこで、酪農二代目を中心として、21世紀の酪農の将来を描いて行かねばならない。また経営パートナーである女性を広く取り入れていく経営スタイルを考える必要がある。
 搾乳ロボット等の省力新技術の導入等の新たな取り組みを前向きに考え、乳牛200頭規模のロボット酪農産地を目指すくらいの勢いが大切である。若い世代に対する積極的な働きかけが、今後の産地活性をになっているので、個々の経営視点も考えた指導が求められる。
[3]  都市近郊に位置するみどり牛乳でも、今後一般市民との融和を図る手段としてグリーンツーリズムに取り組んでいくことが求められるだろう。特に、牧場景観に配慮し林の中の牧場として地域に認知されることも必要であろう。現在、新規建設予定の牧場で、一般住民の参加型による牧場景観づくりの事業化を検討し、人々に開かれた牧場づくりを思考している。
[4]  大阪食肉市場でのみどり牛乳の信用は高く、「知多牛」として広く定着している。しかし、枝肉相場の影響を受けやすく常に高位安定生産が課題となっている。ET和牛生産技術も含め、肉質を向上させ知多牛をブランド化し安定した乳肉複合経営を実現するため、継続的な肉牛部会、ET部会活動がますます求められる。
 今後、みどり牛乳に求められる機能・役割として、トップリーダーや先駆的なグループ活動のバックアップ的な支援に加え、将来酪農に必要な10年先を見通した戦略の立案と作戦の実行が求められる。