地域に根ざした酪農をめざして



最優秀賞   北海道 池 田 邦 雄

1. 地域及び酪農の概況


1) 地域の概況
   浜頓別町は日本の最北端に近い北緯45度にあり、オホーツク海に面した酪農と漁業の町である。人口は5,400人であるが乳牛頭数は6,920頭を数え、漁業では近年栽培漁業が盛んになって来ている。
 町の歴史は明治中期に始まり、町を流れる宇曽丹川源流付近では大量の砂金が掘り出され大変景気の良い時代もあった。
 農業は馬鈴薯が中心だったが、昭和30年代からは酪農主体となり、40年代には広大な草地造成を背景に急速に発展した。
 気候は冷涼であり、平均気温は5℃で、11月末から4月末までは積雪があり、自然条件は大変厳しい地域で、特に流氷が訪れる2月には−20〜−30℃に達することもめずらしくない。
 
2) 酪農の概況                  (平成10年12月31日現在)
 
  酪農家
戸 数
乳  牛
飼養頭数
一戸当たり
飼養頭数
年間生乳
生産量
経産牛1頭
当たり搾乳量


浜頓別町
87  

6,920  

79.5  
トン
27,216  
s
6,782  
 

 
北海道   10,600   882,400   83.2     3,629,784   7,408  

2.  経営の経過と概況

1) 経営の経過
 
昭和52年  父が急死。経営主となる。
昭和57年  経営悪化を契機に酪農を本格的に勉強、飼料給与法の改善に取り組む。
昭和58年  乳量追求と共に経営管理知識を学び、複式簿記を取り入れる。
 中央畜産会の経営発表会に参加。
昭和60年  草地酪農の本場、ニュージーランド・オーストラリアで研修。
 森永酪農振興協会の酪農経営発表コンクール全国大会参加。
 放牧主体、季節分娩への取り組み本格化。

 目標とした放牧主体、季節分娩の経営を完成させるため、草地管理、放牧草の確保、乳牛の健康管理、繁殖管理等々、勉強と試行錯誤の日々が続いたが、家族の理解も深まり、平成4年頃から目標とする経営内容に近づいた。
 現在は、目標とした経営のレベルアップに向けさらに努力しているところである。
2) 経営の概況
  (1) 乳牛飼養頭数(平成10年12月31日現在)

成 牛 成牛内訳 育成牛 子 牛 合 計
経産牛 未経産

51

37

14

1

10

62

  (2) 産次別経産牛頭数(平成10年12月31日現在)

  初産 2産 3産 4産 5産 6産 7産以上 合 計
経産牛頭数
6

8

8

5

6

 

4

37

  (3) 生乳生産量

生乳出荷量 自家消費量 合計生産量 経産牛1頭当り生産量
290,743 s   4,780 s   295,523 s   7,987 s  

  (4) 粗収入の状況

  数 量 金 額 単 価 備 考
乳代金 295,523s 21,841,983円 73.91円 自家消費含む
子牛販売代金 31 頭 823,356円 26,560円  
未経産牛・育成牛販売代金 7 頭 2,651,982円 378,855円  
経産牛販売代金 8 頭 1,120,735円 140,091円  
合   計   26,438,056円    

  (5) 借入金の状況

  (6) 土地構成

  (7) 自給飼料の生産、利用状況

作 物 名 作付面積 収   量 利 用 割 合
ペレニアルライグラス
放牧地
a
2,100
t
840
t
4.0

100



100
ペレニアルライグラス
兼用地
400 140 3.5 40 60   40
オーチャード
グラス
1,350 405 3.0 20 50 30 20
チモシー
サイレージ用
600 270 4.0 4.5   100  
チモシー
乾草用
1,230 369 3.0     100  
合    計 5,680 2,024 3.56   27.5 24.2 48.3

  (8) 労働時間及び労働費の実績表

  労働時間(h) 時給単価(円) 年間労働費(円)




本 人 1,750 1,000 1,750,000
配偶者 1,750 1,000 1,750,000
       
       
小 計 3,500 1,000 3,500,000




常 雇      
臨時雇用      
ヘルパー 6 2,500 15,000
実習生 100 600 60,000
小 計 106 708 75,000
合    計 3,606 991 3,575,000
 
(9) 酪農経営指標の推移

 
(10) 施設及び機械器具の概況


3. 経営の成果


1) 当期費用と生産原価
 

2) 酪農部門の損益
 


4. 昭和60年代の経営について


 当初父親から引き継いだ経営を、複式簿記の取り組みで、その内容を広く見ることとなり、分析と見直しをすることで自分の経営に近づきつつありました。
 その内容は、いろいろと悩み苦しんだ中から、飼料給与の改善による乳量増加の追求から、立地条件を生かした徹底的な放牧と、季節分娩への取り組みで生産性を上げることでした。
 この考えは昭和60年、草地酪農の本場、ニュージーランド、オーストラリアでの研修でさらに私の決意を強くしました。
 この目標に向かって自分の条件に合った放牧型の酪農経営を確立するため、草地の管理と放牧草の確保に努力を重ねてきました。
 試行錯誤しながらも、いろいろな経験を積み重ね、目標とする経営に近づくことが出来た具体的行動は次のとおりです。
1) 地域的酪農経営の取組み
 
(1) 自然条件
自然エネルギー
光、水、空気

(2) 立地条件

2) 自給飼料率の向上は泥炭地との闘い
 
 経営面積の9割が泥炭地 → 改良とその手順
 草地の回りに明渠を堀りその残土とふちの土を中央に集めカマボコ状にする。(自然に水が抜ける)
 1年位そのままにしてその後抜根をし、リッパーを使って空気を土の中へ入れる。
ロータリー掛けをする → 2年目には種まき、3年目に完熟堆肥散布 → 終了

 泥炭改良に自己資本約2500万円投資し、独自の改良方法で雨降りに弱いとされている泥炭地もその心配がなく、干ばつにも強い草地を作ることが出来た。

3) ペレニアルライグラスとの出会い
   ペレニアルライグラスとの出会いは放牧経営をめざす私にとって強い味方であった。
 この草種は放牧専用種で、短草利用するほど草が密集する性質を持っており、またマメ科草と相性が良く、放牧期間の延長が可能となった。(特に秋利用の延長)

4) 生産効率と省力化
   牛が本来は草食動物であることを理解し、「牛は牛」、「人間は人間」と境界線をはっきりとさせ、人間が牛に干渉することはしない。このことが結果的に省力化と労働力の軽減につながっている。

5) 家族を土台とした酪農経営
   昭和58年から複式簿記に取り組み、現在は家内が担当である。
 経営の数字をお互いの土台として、徹底した話し合いの積み重ねでファミリー農業ができた。

6) 地域との関わり合い
   最初の頃は地域も冷たい目で見て、決して受け入れてはくれなかったが、最近は池田牧場の取り組みが注目される様になった。(低コスト、ゆとり等)


5. 現在の経営の特徴


1) 環境保全型酪農
 
(1) 自然界では養分を取ったら返してやるのが鉄則
 土、草、牛、糞尿の循環サイクルをどう回すかが基本であるが、私はそれを実践している。草地も10年以上の永年草地であるが、むしろ10年を過ぎて良くなった様に思う。
 基本的に草地は「牛が管理している」との認識をもっており、放牧地には化学肥料(N)、除草剤、農薬は10年以上一切散布していない。

(2) 尿処理機の利用
 尿は冬期間のみ貯尿し、絶対量が不足なので水で4倍に希釈し、利用している。
 処理した尿は牧草地では春、秋2回散布、採草地では春1回の散布としている。
 生堆肥を散布した上から処理した尿を散布することによって堆肥の腐植化が進み、土地に吸収される。また、処理した尿は草地が乾燥した状態での散布が効果的であり、雨降りや夜の散布はしない。
 こうした草地管理により放牧地における不食過繁草が解消され、嗜好性向上につながっている。

2) 草にしがみついている今日
 
(1)  過去において人間の考える良い草と、牛の食べる良い草とでは隔たりがあったように思う。牛の採食行動の中から牛の食べる良い草を教わった。
 不食過繁草が解消され、放牧草を効率的に食べることから牛が草で満足し、TDN自給率も、70%を超えることができるようになった。

(2)  土壌診断を定期的に行い、ミネラルバランスをとる施肥管理でマメ化率も2 0%〜30%が維持でき、どの草地も一定になった。

3) 経営の土台である育成管理
 
(1)  2.5ケ月〜4ケ月で放牧を開始し、5ケ月令までに自然に関わらせることを鉄則としている。このことによって地域に合った牛がつくられ、冬も外で飼育することにより自然の厳しさを体験させることで、順応力の強い牛ができる。これが我が家の土台牛である。

(2)  子牛のうちから脱柵できないという心理的な教育をし、人間の誘導によってコントロールできるようにすることで、成牛になっても手間のかからない牛がつくられる。

(3)  代償成長が本来の草食動物の基本であり、牛が自分で生きている感覚か、人間に飼われているかが大きな分かれ目になる。

4) 放牧の管理
 
(1) 馴らし放牧と放牧草の管理

 
[1]  4月20日以降から放牧が始まるが、開始時の馴らし放牧の是非で1年の放牧の成果が決まる。そのくらい馴らし放牧は大事なポイントである。
 馴らし放牧のポイントは、春の草の生育に合わせることによって採食量を徐々に増してゆき、期間は約2週間程度かかる。

[2]  春の草は栄養価が高く、CP過剰、センイ不足になりがちなのでエネルギー補給と乾草の併用が必要になる。
 不食過繁草が多少目立つようになると、乾草を止め放牧草と配合飼料、CP14%5s、ビートパルプ1.5sの給与になる。

[3]  昼夜放牧への移行にあたっては、草の伸び、気象の状態(雨降り、気温等)を総合的に判断して行うが、その決断が移行の大きなポイントである。
 その判断を間違ってしまうと草を不足させたり、余らせたりして経済的にも労力的にもマイナスになる。

[4]  暑さ対策は地域的に冷涼な気候で、気温25℃以上になるのはめずらしいため、特に対策をしていないが、夏には大半が受胎を終えているので心配はない。

[5]  放牧地は専用地が21haで29牧区、8月から使う兼用地が4haで14牧区あり、年間で約15回転のサイクルで使用している。
 この牧区移動の判断が重要で、人間の都合ではなく、牛の採食行動や放牧草の再生に最適な状態はどの程度か等、自然とのかかわりを見極めることが必要である。

[6]  牧草地の掃除刈りは基本的にはしていない。また、牛は歩くことも仕事であり爪は自然に減るので、削蹄はしていない。

[7]  放牧フェンスの2段、3段強化(14q)で脱@を防止(ローテーション確実化)し、牛の専用通路は砂利をひき、ぬからないようにしている。  また、給水はどの牧区でも自由に飲める様になっている。

(2) 放牧草の確保と放牧期間の延長

 
[1]  この問題は自然条件を考慮し、暑さ、寒さ、雨降り、干ばつ等を体験し、経験を積み重ね、失敗を繰り返しながら体で覚えるしかないのだが、土づくりが第一の基本であると思う。

[2]  ペレニアルライグラスの導入によって秋の放牧延長は可能となった。(200日)
 昨年は11月5日まで放牧草の確保は出来たが、1日でも遅くまで放牧草を 採食させる事は、草食動物に大きな意味を持っている。

[3]  11月上旬からは放牧しながらサイレージ給与に移行し、根雪になるまで牛は夜も外で飼育する。積雪期はサイレージ乾草を給与しながら日中のみ外で飼育する。

5) 乳牛の管理
   以前に濃厚飼料多給による高泌乳方式を取り組んだ時代があったが、その頃の牛に対する考え方は、人間が牛を管理するという事であった。
 その間、牛の病気が多発し、いろいろな体験、経験に悩み苦しみ、その中から放牧方法を見つけ出した。
 そういう面で、高泌乳型の方法は次のステップになるために良い経験をしたと思っている。
 現在は管理するとの考え方を逆にし、人間の都合に立って牛を見ることは止めた。それによって本来の牛が見えるようになり、自然の中で牛が自ら自然に順応して自然 と共に働いていることが見えるようになった。
 もともと牛は、自然動物の機能を持ち合わせており、自然の中で本能で動くというすばらしいものを持っている。
 人間が牛と関わるとすれば、牛が自然の中で本能的に動ける場を造ってやる事が大切である。人間が牛と関わるとすればここしかない。
 牛には色々な行動があり、まだまだ解明できない行動が沢山あるが、一つ一つ解明される事が酪農家として大きな喜びになる。


6. 将来の目標


1) 食の安全性を
   本来の土…本来の草…本来の牛の生態系に近づける努力をしてきたが、私はさらにその考え方を進めて行きたいと思っている。
 その中から生産された牛乳は、より本物に近づいていると思う。
 こうした本物の牛乳の付加価値をどの様に付けていくかが今後の課題である。

2) 消費者の立場で
   安全で、新鮮で、美味しいものの消費者の要求に応えるため、生産物はもとより、牧場全体の環境整備を進め、存在価値と意義のある酪農家をめざす。

3) 持続的農業の取組み
   今まで、地域に根ざした酪農に取り組んで来たが、家族農業を基本に考え、今後も伝承して行くつもりである。