経営自慢

 

酪農の「夢」実現にチャレンジ

二人三脚で歩んだ道

 

前   靖 人

 

 は じ め に

 「松任市」、これなんて読むの?。「まつとうし」と読むんだよ。
 初めての人はほとんど読み方を聞いてくる松任市は、石川県の加賀平野の中心に位置します。水田地帯ですが、酪農も盛んで酪農家26戸に経産牛1500頭と大型経営が多く、石川県下乳量の約1/3を占め、過去には加賀ホルスタインを生んだ土地柄でもあります。
 この場所で、一歩一歩改良を重ね日夜努力に励んでいる松原龍治さんの「酪農の取り組み」について紹介します(写真−1)。


 

写真−1 経営記録をコンピューターに打ち込む松原さん             写真−2 牛舎内の様子        


 1.酪農経営のおいたち

 昭和27年、松原さんのお父さんが「毎月入って来る現金が魅力」ということで牛を1頭買ったのが酪農の始まりです。
 38年にお父さんが30頭牛舎を新築しましたが、52年の松原さんの結婚を契機に、新しい時代に胸をときめかせ夢ある酪農を目指し、現在の地に3つの経営が集まり酪農団地を3棟個々に新築しました。お父さんが初代組合長となりましたが、経営を開始しようとした矢先、病に倒れ49歳の若さで亡くなってしまいました。
 子供の頃から牛が大好きで牛と話をしながら世話をしてきた松原さんでしたが、さすがにこの時は、「多額の借金をして今からどうなるんだろう」「母ちゃんどうしよう」と毎日悩んだそうです。妻と2人で多難な船出をしましたが、日本海の荒波の如く、大変厳しい時代だったと語ってくれました。

 現在の経営概況
 経産牛頭数      41.1頭
 未経産牛頭数      4.4頭
 育成牛頭数      27.9頭
 年間産乳量      367 t


 2.母ちゃん奮闘

 「毎度さん」「こんにちは」と牛舎の入口で叫ぶと松原さんの奥さんの桂子さんが、「いつもありがとう」と、出迎えてくれます。
 桂子さんが初めて乳牛を見たのは農業高校の実習でのことでした。大きな物体に恐いながらも、ゆったりした大らかな仕種や大きな澄んだ瞳に憧れてしまったのでした。
 その後、両親の反対を振り切って北海道へ1年間の農業研修に行き、ますますホルスタインに惹かれていきました。地元に帰って、2年間の酪農実習で貴重な体験をしましたが、そんな時期に松原さんと知り合いました。会えば乳牛の話で盛り上がり、改良や種雄牛のことなど桂子さんの知らない牛の世界を語ってくれる、松原さんと一緒になりました。
 今、桂子さんの一番楽しみにしていることは、丹精込めて育てた牛が無事に分娩し、次々と牛房に並び、母牛や祖母牛と一緒に沢山お乳を出してくれることだそうです。搾乳から飼料の給与、子牛の管理まで夫の出来ない作業までも行う桂子さんです(写真−3)。
 松原さんは、「今の母ちゃんがいないと潰れていたね。これだけは本当」と言いました。


写真−3 子牛にミルクを飲ませる桂子さん


 3.人との出会いと夢

 「出会いっていいですねえ」と話す松原さんの現在の基礎は、高校を卒業後、1カ月北海道へ実習に行った時のI牧場との出会いが作ってくれたそうです。
 その時、印象に残ったことの一つは、牛舎へ入ったなり「乳房の立派な牛群」が目に焼き付き、離れなかったことです。
 また、もう一つは「牛家はみんな殿様、誰の言うことも聞かず自分が一番だと思ってやってるよ」と昔から言われていましたが、I牧場との出会いはその言葉を覆しました。「自分が一番ではなく、人様よりあの人が一番といわれなくちゃ本当でないね」の一言でした。
 今、自分があるのはI牧場での出会いのおかげ、人との出会いを今後とも大切にしたいと松原さんは考えています。
 多くの酪農家は、今でも「俺も一番になりたい」と思い続けているのですが、時代の流れに逆らえず、今は乳を搾って生計を維持するのが精一杯となってきているのではないでしょうか。松原さんも、ご多分に漏れず苦しい時代が続いています。
 しかし、松原さんに「酪農の夢は?」と聞くと、昔は「共進会トップ」、今は「金入って楽になりたい」と冗談ぽく言いますが、本当のところは昔と変わらない「トップ」だと話してくれました。


 4.自 然 体

 人一倍、改良を重視する松原さんは「人のためではない、自分のため」と言い、その中でも唯一、改良を忘れず少しずつ乳房の良い種雄牛を使いながら気長に改良を続けてきました。「一つひとつの積み重ねだね」と話す本人の言葉に、力がこもっていました。
 松原さんは「俺の所の牛は遅咲き」「2産目以降が勝負だよ」と言います。また、無理して乳量の高い牛を残すのではなく、「自然の中で残っていく牛が結果的に良い牛だ」とさらりと答えます。
 地道な努力のおかげで、牛群が揃い現在、牛群検定成績で表−1のとおり、305日検定1万4000Kgを頭に41頭平均1万115Kgと全国のトップクラスを維持しています

表−1 9年次乳検数値データー


 5.チャンピオン

 「母ちゃんやったよ」、松原さんの夢は少し実現しました。
 それは9年5月に開催された北海道B&Wショウに出品した「ピーエフ ダンディ メリージェーン」が見事、4歳クラスのチャンピオンになり、ベストアダーまで頂いたことです。府県産、自家経産牛のチャンピオンが北海道以外より初めて選出された快挙を遂げました。
 メリージェーンは初産1歳10カ月で分娩し、290日搾乳7000Kg、2産目が2歳9カ月で分娩9200Kg、3産目は3歳11カ月1万115Kgを搾りました。
 この牛は3産後に素晴らしい乳房に変貌し、4歳0カ月でエクセレントを取り、今後、益々期待を持たせる牛となりそうです。


 6.地 域 の 連 携

 これからは「ETの時代だ」ということで、平成3年に県内でいち早く、仲間3人でET研究会を発足させ現在まで至っています。
 北海道で卵を採っていた経産牛を3人共同で購入し、卵を採ろうとしましたが、環境の違いや技術力不足が重なり、一度も卵が採れず淘汰しました。3人は「金を使って何をしてたんだろう。もう辞めようか」と考えたそうですが、やっぱり「これからはETが大事」ということで、4年7月、獣医さんとも相談の上、未経産牛を導入し、現在、雌牛を9頭出産、後継牛として活躍しています。


 7.「おまっと牛乳」の紹介

 今後は消費者との連携も大切になってくることから、何かやろうと話し合いヨーグルトの販売や牛乳販売を手掛けました。
 平成3年乳価の低迷等により、酪農の先行き不安による生産意欲の低下を防止しようと、酪農部会青年部を中心に地域で生産したものを自らの手で、地域の人に消費してもらい松任酪農の活性化につなげようと、地域限定ヨーグルトの委託製造販売を手がけました。
 最初は親戚や農協職員等へ回り「これ酪農青年部で作ったから食べて見て」と直接届け、「うまいんか?」と言われながら地道に開拓しました。みんなの努力により、口コミで評判が広がり、近郊のAコープ、事業所、支店等で販売するにいたりました。その後、自分たちの牛乳を低温殺菌し、瓶詰め販売を行いました。平成6年には市内公募により「おまっと牛乳」と命名(ロゴマーク参照)され、現在は市内の幼稚園、小中学校はもとより、1200戸の顧客に配達されています(写真−4)。


写真−4 おまっと牛乳の製品


 平成7年には「おまっと牛乳」を主材料にし、鶏卵等の地元の畜産物にこだわった「松任産ソフトクリーム」を開発し、市民温泉等にて販売し好評を得ています(写真−5)。


  

   写真−5 市民温泉で販売している       市内より公募したロゴマーク
「おまっと牛乳」の製品                     


 まだまだ課題は山積みしていますが、地域と共に歩む酪農の姿を発見していきたいと考えています。

 おまっと牛乳           180cc  100円
    〃             900cc  290円
 パックンヨーグルト(食べる)    3パック  180円
 パックンヨーグルト(飲む)     3パック  180円
 ソフトクリーム                 250円


 お わ り に

 酪農は「好きだから・夢があるからやれるのです。しかし、自分一人の力では何もやれません。家族の力、親戚の力、また、地域の仲間がいるから今の自分があるのです」と松原さんは言います。
 今後も「牛屋」に徹し、努力をしたいと話してくれた松原さんは、最後にこれだけは言いたいと、「一番しんどいのは妻です。妻に最大なる感謝をしたい」と語ってくれました(写真−6)。


  

写真−6 ヘルパーと談笑する松原さん夫妻                       



(報告者:石川県畜産会畜産コンサルタント)

 


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